ブログリレー(守谷誠)

ブログリレー

化学科 守谷誠

2回目のブログ記事です。気が付けば、在宅講義も折り返し地点。ずいぶん暑い日が続くようになりました。静岡県の自粛要請が解除されたこともあり、6月初めの週末には静岡市内の田んぼ(NPO法人が運営)で田植えを手伝ってきましたが、久々に外で体を動かしたおかげで腕は日焼けし、脚は筋肉痛になりました。とはいえ、存分に自然を満喫し、本当に気持ちの良い一日を過ごすことができました。こういった普段の研究と離れた体験は、気分転換と頭の切り替えに欠かせない機会になっています。

普段、私は電池材料の開発に関する研究をしています。分野としては材料科学に分類されます。研究室では、私たちが培ってきた経験や知識をもとに、良い特性を示すと思われる新物質をまず設計(推定)します。そこから、適切な出発原料を選択し、それらを組み合わせることで目的化合物を合成し、その構造や電池材料としての物性を詳細に調べます。もちろん良い結果が得られることもあれば、予想に反してイマイチな結果になることもあります。基本的に、実験はやってみないと分かりません。良い結果、イマイチな結果、いずれの場合にもその結果が得られた原因について仮設を立て、その仮説を検証しながら良い特性を示すと思われる物質を改めて設計し、合成を試みる、といった手順で新材料の探索を進めます。材料開発の現場は、どこもこういった手順(いわゆるPDCAサイクル)で研究を進めていると思います。

ところが、ここ最近、この材料科学の分野に大きな変革の波が押し寄せています。マテリアルズインフォマティクス(MI)と呼ばれる研究領域の発展です。最近、産業界を中心にMIが大きな注目を集めているのですが、耳にしたことはあるでしょうか?実験を主体とする従来の材料科学とは異なり、MIでは論文や特許、各種データベースにまとめられた材料関連の大量のデータと機械学習を駆動力として、新材料の探索(提案)や生産プロセスの効率化が試みられています。

百聞は一見に如かずということで、昨年の秋頃に日本化学会が主催するMIに関する講演会に足を運び、勉強をしてきました。MIには化学者だけでなく、情報系の研究者も続々と参画しているためか、講演会自体は参加予約の段階で早々に満員となりキャンセル待ちも出ていたようで、MIに対する注目の高さをヒシヒシと感じました。さて、皆さんが化学に関連する講義を受講する際は、「分子の構造に関する立体的なイメージ」を頭に思い浮かべながら受講することが一般的ではないしょうか。少なくとも私は、「分子構造」は化学を学ぶ際の根幹であると認識しています。ところが、MIの研究者は分子を文字列で表現し、化学反応は関数として扱っていました。これは衝撃的でした。同じ化学を見ているのに、これほど異なる物の見方があるとは考えてもいなかったためです。さらに、この文字列と関数に基づいたMIによって、従来の化学者が築き上げてきた「定跡」ともいえる結果(有機化学の様々な反応など)が再現できることや、「新手」ともいえる新しいコンセプトの提案に至った事例を目の当たりにし、自分の常識だけで物を見ていると未来を見失いかねないと強烈に認識させられました。

ちょっと話が飛びますが、私の大好きな曲の一つにレキシの「狩りから稲作へ」というものがあります。縄文時代から弥生時代に移り行く過程で縄文人が味わったであろう悲哀を、「縄文土器、弥生土器、どっちが好き?」というフレーズとともに、真剣かつユーモアたっぷりに歌い上げた曲です。当初は、土器を曲に昇華させるというのは、ある意味イノベーションだなあと感じていました。でも、最近では実験化学者としての自分の姿を縄文人に、MIの研究者を弥生人に投影してしまいます。将棋や囲碁の世界における機械学習の躍進と、やがて到来すると言われているシンギュラリティに思いを馳せると、材料開発の有り様もいずれは現在と全く違う形に変容すると思われます。この曲で描かれている縄文人の心の移ろいが他人事には感じられなくなってきました。

とはいえ、弥生時代を生き延びた変わり者の縄文人も居たことでしょう。やってみなくちゃ分からない実験にロマンを感じたからこそ、研究者を志したという一面もあります。ですので、弥生人(MIの研究者)とお話(共同研究)ができるように稲作(MI)の勉強もしながらも、狩り(実験)の技術を磨き、彼らが興味を持つ獲物(新材料)を仕留めることを当面の目標にしています。ちなみに、私は縄文土器と弥生土器だったら、縄文土器の方が好きです。使いにくそうだけど、とにかく格好いい。もがきながらでも、縄文土器のように後世に残る研究成果が挙げられればと思っています。