ブログリレー(天野豊己)

ブログリレー

生物科学科 天野豊己

人間の時間と生物の時間

皆さん、こんにちは。新型コロナウイルスによる自粛生活も少しずつ解けはじめ、かつての日常が戻りつつあると思います。振り返ってみれば、自粛中は様々な制約があり、時間が止まったような状態であったのではないかと思います。

私自身も、自室でオンライン授業の準備や、その他様々な作業を行っていました。このような時に目に入るのは、自室の窓の外の風景です。幸い自室の前には緑あふれる木々があり、自然の息吹を感じることができる場所でした。そこで一日中、様々な作業に追われつつ、窓の外の自然を眺めるという生活を送っていました。


家の近所の草地。ホソムギが枯れてヨモギや
メドハギが伸び出している。

この時に思ったことは、人間の生活は時間が止まったようになっていますが、窓の外の生物たちの暮らしは、それとは無関係に刻々と移り変わっていく、ということでした。自粛生活が始まったころはまだサクラが咲いており、遠目にはオオイヌノフグリやヒメオドリコソウの群落も見えていました。これが5月上旬になると、コバンソウやイヌムギ、ホソムギにとって代わり、チガヤがきれいな穂をつけるようになってきました。そして雨の日が続くようになると、コマツヨイグサやヒルザキツキミソウ、それから、花は秋ですが、メドハギやヨモギが見えるようになってきました。

これは特別なことではなく、毎年繰り返し行われていることです。新型コロナウイルスの影響で、止まりかかっていた人間の時間とは別に、コロナ禍とは全く無縁の、生物たちの刻む時間があるということが実感できました。

授業や研究に忙しい例年でも、生物の刻む時間があることは、日々の草花の移り変わりから感じてはいました。しかし、それは必ず人間の刻む時間よりも遅いため、見落としがちであったと思います。今年は人間の時間の方が生物の時間よりも遅くなったため、生物の時間がはっきりと見えてきました。人間は、自分よりも速く走るものには目が行きますが、遅いものは見えにくくなってしまいます。

コロナ禍による自粛生活が解けると、少しずつかつての日常が戻ってきます。充実した生活を送るためには、社会状況によってかわる人間の時間のほかに、通奏低音のように一定な生物の時間を意識することが大切であると思います。生物の時間のように、世相に影響されない自分自身の軸をしっかりともって、大学での学びを深めて行って頂けたらと思います。