ブログリレー
地球科学科 川本竜彦
間違えるためにできること
有馬郎人の「研究者」(2000年)という本で、数学者の森重文は「成功に導く研究は間違えてこそ進展する」と書いています。(引用始め)”数学の論文は論理だけで書きますが、思考する途中はそんなことはありえません。論理だけでしたら堂々めぐりしてしまいます。言い換えに過ぎないですから何も出てこない。だから研究の途中で間違えるというような、飛躍する部分がないとうまくいかないのです。”(引用終わり)
正直なところ、私自身は理屈を軽んじ直感を大切にしてきました。「すべてが論理的である必要はない」と信じてきました。森重文から、”飛躍するためには、間違えなきゃいけない”とお墨付きをもらいました。さらに、私の直感は「間違えるためには、やってみることが必要」とささやきます。若手研究者だった頃、私が「実験をしている」と言うと、私を知る人たちは「このオッチョコチョイが?」と驚きました。不器用な私は「実験をするのは器用な人」というイメージからかけ離れていました。しかし、私が実験をするのは「器用だから」ではなく、まさに不器用であるがために実験をしているのです。現実に、ほぼすべての実験は失敗です。失敗はどこかで間違うために起こるのでしょう。私の失敗続きを見かねた後輩が手伝ってくれるというありがたくも苦い体験もあります。それでも、まずはやってみないと始まらないのです。
実験とは思いがけない結果を出すものです。私がマントルの石に塩水カプセルがあることを見つけた時もそうでした。2009年3月フィリピンのピナツボ火山噴火で地表に出てきたマントルの石を顕微鏡で観察することにしました。「よくある二酸化炭素のカプセル」を見つけられるかなと考えて顕微鏡で観察しました。1時間後に見つけたものは「はじめて見る塩水のカプセル」でした。後になって振り返ると、塩水カプセルを発見できて、しかもその意義を理解できた人は、私以外にいなかったと思います。まるで、マントルに塩水が入っていることを見つけるために、それまで研究していたのではないかと感じるほどです。しかし、観察の目的は「よくある二酸化炭素のカプセル」の探索でした。
何か気になることがあれば、やってみる。そして、どんどん間違う。間違うことで真理に近づいているのです。間違うことこそ、私たちだけができる特権で、それが発見につながっています。発見の大小は「身の丈」にあったものになるでしょうが、発見の喜びはなにものにも代え難いものであるはずです。