Hamamatsugram

#Hamamatsugramとは?

このページの元々のタイトルは「浜松街歩きツアー報告」というものでしたが、オープンキャンパスの掲示物として高校生の皆さまに楽しんでいただくために、10代の方々が馴染み深いであろうInstagram風のデザインにしてみました。タイトルもHamamatsugramに変更し、各項目にInstagramで用いられるハッシュタグをつけたり、アイコンを使用したりしています。

ツアー概要 

【日時】:2021年7月9日(金)09:30-12:30
【見学箇所】
 09:45~10:30 二橋染工場
 10:40~10:45 椿姫観音
 10:50~11:20 遠州織物会館
 11:25~11:35 元城町東照宮(引間城跡)
 11:45~12:20 浜松市茶室 松韻亭
【天気】:晴天(踏査・見学ルート変更なし)
【ガイド】:松沼素子先生:静大日本語教員,浜松観光ボランティアの会 

ツアールート 

二橋染工場

注染の工程について

糊置き  土手つくり 

型紙を生地の上に置き、
木べらで防染糊を一面に伸ばす 

色が混ざらないように
防染糊で土手をつくる 

注ぎ染め  高干し 

やかんで染料を注ぎ、
ポンプで吸い取りながら染める。
 

糊や余分な染料を水洗いし、
自然乾燥させる。 

二橋染工場は昭和二年(1992年)創業で90年以上の歴史がある。
→現在でも有数の職人が技術を伝承している。
注染:手染めの職人が一ヵ所に生地を重ねて型を置いて染めれば、
効率よく生地を一度
に染められるだろうと考案した染色技法。
「薬灌(ヤカン)」を使用して染める
型染めの一種で明治に始まった日本独自の染色技法である
「長板手法」「つぎ染め」などと呼ばれたが昭和14年に国の施策により
「注染」に統一 多彩な色使いときれいなぼかしが特徴 

椿姫観音 

椿姫観音 
5分程度の音声ガイドが椿姫観音について詳細に説明をしてくれた。
お線香がおいてあることや打ち水がされていることから、
地元住民から大切にされていることが分かった。 

〇亡き夫・飯尾豊前守に代わり、引間城主となったお田鶴の方だったが、徳川勢との戦いの末、命を落とした。派は動詞が義理の姉妹にあたる築山御前が彼女の死を哀れみ、塚の周りに100株余りの椿の花を植えたと言われている。椿が美しく咲き誇る姿から椿塚と呼ばれ、椿姫の名の由来になったと伝えられている。 

遠州織物会館 

遠州織物会館の様子 
特殊な法被(内側と外側で柄が違い、透け感がある生地) 

〇江戸時代の綿織物業を基礎に発展した遠州は、日本の三大綿織物産地の一つに数えられる。中でも浜松は、織物工業の機械化・近代化と技術者の養成に力を注ぎ、織れないものはないといわれるほど多くの品種を生産している。製織、染色、整理加工技術は非常に高い評価を得ている。 

 〇テクノロジーの地遠州地方は、繊維、楽器、オートバイを三大地場産業として躍進を続けてきた技術開発の地である。今、浜松はファッションの生産基地として、女性のファッション衣料を中心に、メンズの高級シャツ地やカラミ織物等、技術を駆使した織物を幅広く提供している。 

 

#元城町東照宮 

1886年に創建。社殿の扉や屋根には三つ葉葵の紋所がみられ、家康公を祭神とするお社であることを示している。1568年に家康公は今川方の拠点であった引間場を攻め入城し、城地を拡大し浜松城を建城した。 

ご神木  猪目(イノメ) 
理由は不明であるが、ユーカリの木が ご神木とされている。  猪の目の形を模したハート型を上下逆さにしたような透かし
文様。 火伏の魔除けとして神社などの建築物に設けられる。
 

浜松市茶室 松韻亭 

〇浜松城公園の一角に開席された本格的な茶室。杉、栗などの銘木を使用して建てられた棟内には、第一広間、第二広間、立礼席、離れの小間「荻庵」を備えている。 

〇煎茶は「お茶・お菓子・お茶」の順番で楽しむ決まりがある。お茶の道具は季節で異なるものを使用する。今回は夏らしく、涼しげな青紅葉の器と黒文字の木の菓子切りが使われていた。 

〇茶室の掛け軸は一番大切なものと言われている。お茶の勉強だけでなく、禅語や生け花、陶器すべての勉強をして教養を深めることが日本文化の基本だと教えていただいた。

 

振り返り  


@mori_kouki 今回、街中ツアーを実施して浜松の住民は郷土愛が強いと考えた。
事前講義の段階で浜松城を住民の寄付から再建したことや、どんなに小さいカタチであっても、椿観音や本田技研発祥の地を残していること、椿観音の打ち水、注染染め文化、遠州織物の継承、徳川家康の伝説など様々そう考えられる要素は多かった。浜松の人郷土愛を強めているのは、徳川家康や豊臣秀吉などの歴史とホンダ、ヤマハ、スズキなどの産業が兼ね備っているからだと考える。そのような歴史や産業が発達したのも、浜松市の東海道の中心にあり交通の便が優れているという好立地、天竜材と呼ばれる良質な木が育つ豊かな自然があってのことである。素晴らしい歴史と産業に魅力がある場所を地元民が好きになるのも無理もない。実際に、街中ツアーで浜松の一部を見て回ったが、その一部だけでも浜松の魅力が伝わってきた。全域を調査してみるともっと浜松の魅力に惹かれていくだろう。
 


@mori_yuna コンピューターの力を借りれば、効率も正確さも手間を省くことも可能になった。しかし、そんな時代だからこそ職人の手で一つ一つ丁寧に作られる製品の良さが際立つのではないかと考えた。コンピューターで正確にきれいな布を作ることができるにも関わらず、大事な場面では現在でも職人の作るものが選ばれている。職人の手でゆっくり時間をかけておることで表面の凹凸感、ふっくらしたあたたかみのある生地が生まれる。コンピューター化が進んだからこそ遠州織物のあたたかみが求められているのではないだろうか。


@yamamoto_saki 段何気なく生活している浜松の街にも歴史的な場所が多く残されていた。それらは浜松城を中心に広がっているため、昔浜松城周辺が栄えていたと考察できる。椿姫観音に訪れた際に打ち水がされていたように、名所の数々は地域の人々の手によって大切に守られてきた。今後も継続してこれらの名所を守っていくためには人手不足を解決する必要がある。人手不足の理由の一つに福利厚生の不十分さを指摘する。伝統を受け継ぐことは日本を守ることにつながるため、伝統伝承の重要性を広め、福利厚生を整える必要があるのではないか。また、浜松にはまだ広く知られていない名所が他にも多々あるので、近隣住民と協力し、名所の整備、魅力の発信を行っていく必要があると感じた。

 


@higashi_shouyou 街中ツアーより、浜松は産業と伝統、歴史が形を変えながら残っている有数の都市であると考えられる。一般的に明治時代の欧化政策などの国の施策により伝統や歴史が地域から失われることが多い。しかし、浜松には現代社会でも歴史や伝統が残るような産業の枠組みがあった。特に二橋染工場や遠州織物会館の見学から、その枠組みを理解することができた。その枠組みの一つとして従来の在り方を固持せず、ニーズや社会の変化に柔軟に対応して、伝統と歴史を継承していることが挙げられる。二橋染工場ではシャトル織機の利用やプリントされた型紙の利用、遠州織物会館では有名ブランドへの織物の提供などがある。しかし、同時に十分に伝統や歴史を残すことが困難であることも理解した。歴史や伝統を残すためには、行政の介入や地域住民の積極的な情報発信が不可欠であると筆者は考える。


@sajeepet_ai この街歩きツアーを通じて浜松の伝統的な産業や文化を歴史的な場所・工業などの訪問することによって、今まで知らなかった浜松の歴史と浜松における産業の関連性を実感することができた。また、テクロジーの進化から技術的な場面の導入により伝統的な文化・産業や歴史を残すことが難しいと感じたが、それでも若者や観光客にその良さを伝達しようとしているあるいは守ろうとしている努力を感激を受けた。その例として、椿姫観音において周りの住居者たちが綺麗な花や床に水をかけられていることから、周辺に住んでいる人たちからお参りしており、大切にされていることを感じた。その努力から市民たちの協力のほかに伝統的な文化や歴史を守るには若者や観光客が情報を広がることが大事と実感した。

Last updated: 2021-10-20