【準備中】佐藤翁頌徳碑(静岡県賀茂郡松崎町岩科北側 永禅寺)

【概要】
「佐藤翁頌徳碑」は松崎町岩科にある永禅寺内にある。
佐藤源吉(信武)は1829年(文政12年)生まれ、1914年(大正3年)没。1829年は江戸時代の終焉がちかづき、民衆の教養も高くなり、新たな社会の主人公として力をつけていたころである。佐藤源吉はその機運の中に生まれ、明治期の松崎町を支えた。地域の振興に力を注ぎ、とりわけ、教育に大きな貢献があった。

佐藤翁頌徳碑(静岡県賀茂郡松崎町岩科北側1312−1 永禅寺)
篆額名:佐藤翁頌徳碑
篆額者:野村素介
撰者:野村素介
揮毫者:佐倉孫三
刻者:山田長吉
所在:静岡県賀茂郡松崎町岩科北側1312−1 永禅寺(東海バス永禅寺バス停そば)
建立時期:大正10年(1921)

【碑陽】
佐藤翁頌徳碑
翁諱信武通稱源吉号一嶽伊豆國賀茂郡岩科村人父文右衛門母中村氏文政十二年十二月十三日生資性沈毅篤實處事公平縝密永奉里正戸長等公職凡地価修正之事務土木衛生之董督蚕桑樹藝之奨励牧場商社之開設皆鞅掌盡瘁功績甚多最用力学事校舎之建築教師之招聘進當其任常忘私而殉公是以衆人莫不悦服官亦屢賜物賞之大正三年十二月二日病而歿享年八十有六聞訃者哀悼如喪慈父頃者郷人胥謀欲建碑以不朽其名請余銘乃繫詞曰
豆之為州  山高水長  時生仁人  其徳洽郷  其名可傳  後人仰望  以謳以頌  千万星霜

大正十年十月           従二位勲一等  男爵  野村素介 譔並篆額
従七位勲六等      佐倉孫三 書
石工  山田長吉

【碑陽の訓読】

翁、諱は信武、通稱は源吉、一嶽と号す。伊豆の國賀茂郡岩科村の人。父は文右衛門、母は中村氏。文政十二年十二月十三日に生まる。資性は沈毅篤實、事を處するに公平縝密たり。永く里正戸長等の公職を奉じ、凡て地価修正の事務、土木衛生の董督、蚕桑樹藝の奨励、牧場商社の開設は、皆な鞅掌盡瘁す。功績甚だ多きも、最も力を学事に用う。校舎の建築、教師の招聘は進んで其の任に當たり、常に私を忘れて公に殉ず。是を以て衆人悦服せざるなし。官も亦た屢ば物を賜い之を賞す。大正三年十二月二日病ありて歿す。享年八十有六。訃を聞く者、哀悼すること慈父を喪うが如し。頃者(このごろ)郷人胥(み)な謀りて碑を建て、以て其の名を朽ちざらしめんと欲し、余に銘を請う。乃ち詞を繫ぎて曰く

豆の州為る  山高く水長く  時に仁人を生み  其の徳郷に洽し  其の名傳う可く  後人仰望す  以て謳い以て頌し  千万星霜たらん

【現代日本語訳】

翁の名は信武、通称は源吉、号は一嶽という。
伊豆国賀茂郡岩科村の人である。父は文右衛門、母は中村氏。文政十二年十二月十三日に生まれた。

生まれつきの性格は、落ち着いていて意志が強く、誠実であった。物事を処理する際には公平で細やかであった。長年にわたり里正や戸長などの公職を務め、地価改正の事務、土木や衛生の監督、養蚕や植樹の奨励、牧場や商社の設立など、あらゆる分野で忙しく働き、力を尽くした。

その功績は非常に多いが、なかでも最も力を注いだのは教育であった。校舎の建設や教師の招請には自ら進んで責任を担い、常に私利を忘れて公のために尽くした。そのため、人々は誰一人として彼に心服しない者はいなかった。官庁もまたしばしば褒美を与えてその功績をたたえた。

大正三年十二月二日、病を得て亡くなった。享年八十六。訃報を聞いた人々は、まるで慈父を失ったかのように深く悲しんだ。

近ごろ、郷里の人々は皆で相談して碑を建て、その名を後世に残そうとし、私に銘文を依頼した。そこで言葉を連ねて次のようにいう。

伊豆の国は、山は高く水は長く流れ、
ときに仁徳ある人物を生み出す。
その徳は郷里に広く行き渡り、
その名は後世に伝えられるべきものである。
後の人々はこれを仰ぎ見て、
これを歌い、これを讃え、
末永く語り継いでいくであろう。

【注】
(注X)
(注X)『伊豆碑文集成 西海岸編』(壬生芳樹編、1982年、非売品、pp.2-3)、『伊豆碑文集(西海岸編)』(桜井祥行編、2017年、非売品、pp.18-19)に本碑の紹介あり。