【概要】
伊豆の山林や交通に貢献した落合金次郎を顕彰する漢文碑である。落合金次郎の生没年は未詳。碑文の記載によれば、相模国愛甲郡宮瀬(神奈川県の北西に位置した愛甲郡にかつてあった宮ヶ瀬村を指す。現在の住所表示は愛甲郡清川村宮ヶ瀬)出身である。『伊豆林政史』(p.168)に1889年(明治22)から1903年(明治36)まで天城山御料林に関与した記録がある。
伊豆の山林の乱伐を防ぎ、道路や河川の整備を行なった人物である。『伊豆林政史』の記述が正しいなら、明治34年(1901)の本碑は、落合金次郎の生前中に建てられたことになる。
今この石碑は、「天城山麓至湯野」(天城山麓から湯ヶ野まで)の道や「上河津至海濱」(上河津から海辺まで)の川にほど近い場所に置かれている。

落合金次郎開道碑(静岡県賀茂郡河津町梨本182-4 子守(ねのかみ)神社)
篆額名:落合金次郎開道碑
篆額者:従二位勲一等 岩村通俊
撰者:正六位 依田百川
揮毫者:正四位勲三等 巌谷修
刻者:丸山佐吉
所在:静岡県賀茂郡河津町梨本182-4(本梨本バス停そば)(注意:大鍋の子守神社ではない)
建立時期:明治34年(1901)
良材美玉之韜藏乎山澤林藪之間者不可勝測然世多不見之者採焉不盡其法搬焉不究其術道路之阻隘而舟車之顛覆以沮格之也若不吝工費不憚労力悉心於此将見羅列良材美玉於市塵之中以供人間無窮之用矣相模國愛甲郡宮瀬人落合金次郎家素赤貧以焼炭射猟為業嘗謂山林藪澤伐採日多非又今植栽之山則禿而澤則赭矣乃奮請於官以明治十七年植杉樹於田方郡大見邨尓後植栽益多而天城之山殊多良材動輒伐採金次郎憂之伐樅代檜杉數千株又謂請天城嶮欲運搬良材者先在開通道路便利舟車焉乃自城東至白田及天城山麓至湯野道路剷其嶮除其岨又開上河津至海濱水路闢其隘疏其塞於是舟車之行不滞而搬運之法得宜矣蓋其従事植樹与開道者十有六年所植樹四百萬株開水陸路十數里所費不可勝數嗚呼其功勞之大豈得不激賞而傳之後世以垂不朽乎乃作銘曰
崔嵬天城嘉樹植焉斧斤伐之将若牛山誰補其缺林藪蓊鬱乃開道路乃通馬匹乃疎水道舟楫乃疾維落合氏厥功何隆豐碑屹立萬古維崇
明治三十四年四月 正六位 依田百川撰
正四位勲三等 巖谷修書 岩村通俊題
建碑首唱者 上河津有志 世話人 相馬宇吉 大野宇平 鳥澤枡藏 山田啓吉 稻葉来藏 平川伊之助 板垣亀吉 平川松次郎 近藤権右衛門 測量手 伊藤喜太郎
擔任者 相模國愛甲郡 岩崎吉太郎

【訓読】
良材美玉の山澤林藪の間に韜藏せらるる者、測るに勝う可からず。然れども世に之を見ざる者多し。焉を採るも其の法を盡くさず、焉を搬ぶも其の術を究めず。道路は之れ阻隘し、舟車は之れ顛覆し以て之を沮格するなり。若し工費を吝まず、労力を憚からず、心を此に悉くせば、将に良材美玉を市塵の中に羅列し、以て人間(じんかん)に無窮の用を供するを見んとす。相模國愛甲郡宮瀬の人落合金次郎は家素より赤貧、炭を焼き射猟するを以て業と為す。嘗て謂えらく、山林藪澤伐採すること日び多く、又今之を植栽するに非ざれば山則ち禿げ、而して澤則ち赭からん、と。乃ち奮いて官に請いて以て明治十七年杉樹を田方郡大見邨に植え、尓る後植栽益多く天城の山殊に良材多く動もすれば輒ち伐採す。金次郎之を憂い樅を伐りて檜杉數千株に代う。又た謂えらく、天城嶮なれば良材を運搬せんと欲する者先ず道路を開通し、舟車に便利ならしむるに在り、と。乃ち城東自り白田に至るまで、及び、天城山麓より湯野に至るまで、道路其の嶮を剷り其の岨を除く。又上河津より海濱に至る水路を開き、其の隘を闢き、其の塞を疏し、是に於いて舟車の行滞らずして搬運の法宜しきを得たり。蓋し其の樹を植うると道を開くとに従事せる者十有六年なり。植うる所の樹四百萬株、開く水陸の路十數里、費やす所勝げて數う可からず。嗚呼其の功勞の大なること、豈に激賞して之を後世に傳え、以て不朽に垂れざるを得んや。乃ち銘を作りて曰く、
崔嵬たる天城 嘉樹焉に植う 斧斤もて之を伐り 将に牛山の若くならんとす 誰か其の缺を補う 林藪蓊鬱たるに 乃ち道路を開き 乃ち馬匹を通す 乃ち水道を疎(とお)し 舟楫乃ち疾し 維れ落合氏 厥の功何ぞ隆たる 豐碑屹立し 萬古維れ崇えん

【現代日本語訳】
山や沢、林の奥深くに良い木材や美しい玉が隠されているものは、数えきれないほどある。
しかし、それが世に知られないままになっていることも多い。
それらを採ろうとしても、その方法を十分に尽くしていないし、運ぼうとしても技術を極めていない。
道は険しく狭く、船や車は転覆してしまい、そのために運搬が妨げられているのである。
もし費用を惜しまず、労力をいとわず、このことに心を尽くすならば、やがて良い木材や美しい玉が町の中に並べられ、人々の間で尽きることなく役立つようになるだろう。
相模国愛甲郡宮瀬の人、落合金次郎は、もともと家が非常に貧しく、炭焼きや狩猟を生業としていた。
彼はかつてこう言った。
「山林や藪沢は日ごとに伐採されている。これから植林をしなければ、山は禿げ、沢は赤く荒れてしまうだろう」と。
そこで彼は奮起して役所に願い出て、明治17年に杉を田方郡大見村に植えた。
その後も植林はますます増え、天城山には特に良い木材が多く、少し気を許すとすぐに伐採されてしまう状況であった。
金次郎はこれを憂い、モミの木を伐って、ヒノキやスギ数千株に植え替えた。
さらに彼はこうも言った。
「天城は険しいので、良材を運び出そうとするなら、まず道路を開き、船や車が便利に通れるようにすることが必要だ」と。
そこで彼は、城東から白田に至るまで、また天城山のふもとから湯野に至るまで、険しい所を削り、険阻な地形を取り除いて道路を開いた。
また、上河津から海辺に至る水路も開き、狭いところを広げ、詰まっているところを取り除いた。
こうして船や車の往来は滞ることなくなり、運搬の方法も整えられた。
およそ彼が植林と道路開削に従事した期間は16年に及ぶ。
植えた木は400万株、開いた水陸の道は十数里に及び、その費用は数えきれないほどであった。
ああ、その功績の大きさは、どうして称賛して後世に伝え、永遠に残さずにいられようか。
そこで銘文を作って言う。
高くそびえる天城の山に、良い木々が植えられた。
しかし斧で伐られ、このままでは禿山になってしまいそうである。
誰がその欠けたところを補うのか。
木々は生い茂り、そこに道が開かれ、馬が通い、さらに水路も整えられて船が速く行き交うようになった。
これらはすべて落合氏の働きである。
その功績はなんと大きいことか。
大きな石碑は堂々と立ち、永遠にその名は称えられるであろう。
【注】
(注X)不可勝測:多すぎて計測できない。
(注X)人間:人の世。現世。
(注X)将若牛山:美しかったものが無残なものに成り果て、本来の姿を失うことを嘆く故事。伊豆の山々が乱伐によって荒廃しそうになったことをいう。『孟子』(告子・上)に「孟子曰く、牛山の木嘗て美なり。其の大國に郊たるを以てや、斧斤もて之を伐る。以て美と為す可けんや」。
(注X)林藪蓊鬱:苔で覆われて一部の文字が判別できない。「蓊」の字は推測して入れた。
(注X)
(注X)
(注X)『伊豆碑文集 東海岸編』(桜井 祥行編、2008年、非売品、pp.96-97 )に本碑の紹介あり。