【概要】棧車を導入し物資の運搬に貢献した山本鶴衛氏、山本安太氏を顕彰した碑。
篆額名:役車紀念之碑
篆額揮毫名:不明
撰者:桜井祥行『伊豆碑文集(口伊豆・南豆編)』(2025年、私家版、p.56)は「一色区長 堤定吉」とする。
揮毫者:不明
刻者:不明
所在:静岡県賀茂郡西伊豆町一色堀坂付近の熊野神社を100mほど北に行ったところにある。コンクリート擁壁のそばに置かれている。
建立時期:明治35年(1902)

【碑文】
夫粤設棧車行之此地也其為發軔在山本両氏鶴衛與安太從是十年前殊来車夫與棧車於遠江自天城山脚轉輪木材平海口也其一車之力能兼十夫之任也人牛負戴之勞于茲之省矣爾来為之者日増年進殆向一百輌其為用哉薪炭竹木凡可輸者皆以輸之咿咬轢𨏒之声日夜不息夫有俶始者必有継之者則銘曰先人為軌後人斯踐運輸自在便宜不鮮 明治三十五年十一月穀旦刻焉

【書き下し文】
夫(そ)れ粤(ここ)に棧車を設け之を此の地に行うや、其の発軔を為すは山本の両氏、鶴衛と安太とに在り。是れ従り十年前、殊に車夫と棧車とを遠江(とおとうみ)より来(きた)らしめ、天城山脚より木材を海口に転輪するなり。其の一車の力は、能(よ)く十夫の任を兼ぬるなり。人牛負戴の労、茲に于(おい)て之(これ)省(はぶ)かる。
爾来、之(これ)を為(な)す者は、日びに増し年どしに進み、殆んど一百輛に向(なんなん)とす。其の用為(た)るや、薪炭(しんたん)・竹木(ちくもく)、凡(すべ)て輸(ゆ)す可き者は皆な以て之を輸し、咿咬(いこう)轢𨏒(れきらく)の声、日夜息(や)まず。夫(そ)れ俶始(しゅくし)有る者は必ず之を継ぐ者有り。
則ち銘して曰く、
先人軌を為り 後人斯に践む 運輸自在にして 便宜鮮(すくな)からず
明治三十五年十一月穀旦 焉を刻す
【現代日本語訳】
そもそも、この地に棧車を運行するようになった発端は、山本鶴衛・安太のお二方にある。今から十年前、わざわざ車夫と棧車を遠江(静岡県西部)から呼び寄せ、天城山の麓から港(海口)へと木材を車輪を転がして運搬させたのである。
棧車一台の運搬力は、実に作業員十人分の働きに匹敵するものであった。それまで人や牛が重荷を背負って運んでいた過酷な労苦は、これによって大いに省かれることとなった。
それ以来、この事業に従事する者は日を追うごとに増え、年とともに発展して、今や棧車の数は百台近くに達している。
その用途といえば、薪炭や竹木をはじめ、およそ運搬できるものはすべてこれに載せて運び、キュッキュッと軋む音やガタゴトと響く音は昼夜やむことがない。
そもそも、事業を始めた者がいれば、必ずそれを受け継ぎ発展させる者がいるものである。
そこで、この功績を称えて銘文を刻む。
先人が軌道を築き、後人がその轍を踏み進む。物資の運送は自由自在となり、その便利さたるや測り知れない。
明治三十五年(1902年)十一月吉日、これを刻む。

(1)「棧車」は木や竹で作られた車。
(2)「發軔」は物事の始まり。
(3)「殊」は特別に、わざわざ。
(4)「向」は「なんなんとす」と読み、「……にちかづく」意。
(5)「咿咬・轢𨏒」はいずれも擬音語。荷車からでる音をいう。「咿咬」は本来、若々しい声を指すが、ここでは「キュッキュッ」という音を指すか。
(6)「俶始」は始まり。
(7)「穀旦」は吉日と同義。
(8)壬生芳樹『伊豆碑文集成 西海岸編』(1982年、非売品、p.42)、桜井祥行『伊豆碑文集(口伊豆・南豆編)』(2025年、私家版、p.56)に記載がある。なお、後者は「山本安太」を「山本安太郎」を指すとする。
(9)碑陰に多くの人名が書かれている。この調査は今後の課題とする。