善翁積慶居士之碑(静岡県賀茂郡西伊豆町先川付近)

篆額名:善翁積慶居士之碑
篆額揮毫者:建長管長 霄貫道
撰者:長松住 六虚恵周
揮毫者:奈倉林
刻者:逸雲
所在:静岡県賀茂郡西伊豆町先川にある。ただ、場所がわかりにくい。西伊豆町や松崎町の中心街から来る場合、県道59号線と国道136号線が交わる「浜橋交差点」から県道59号線を東に仁科川に沿って行く。1kmほど進むと左に「下田消防本部 西伊豆消防署」がある。さらに50mほど東に行くと左に入る小道がある。左折してその小道を行く。アロエ畑の横を抜けて400mほど進むと(途中に西伊豆町企業課(先川浄水場)が右にある)T字路になる。そこを左折すると10mほどで小さな十字路になる。そこを右折する。低山に挟まれた谷のなか、渓水に沿って入っていくと100mほどで集落が途切れる(左に渓水を渡る小さい橋があるがこれは通り過ぎる)。そこを更に小道に沿って竹林の中に入っていくと、200mほどで竹林の中にこの石碑がある。
北緯34度46分42秒1、東経138度47分01秒9(34°46’42.1″N 138°47’01.9″E)。
撰文の時期:明治三十年六月(1897)

備考:壬生芳樹『伊豆碑文集成(西海岸編)』(1982年、非売品、pp.41-42)に記載がある。石碑に多数の地衣類と苔が付着していたので、読めない文字は本書に従った。なお、推測で当てた文字もある。

【碑文】
善翁積慶居士之碑

翁姓金高名善庵号積慶又字月友家世漢醫翁初遊于江都学翰林昌平黌次就多紀桂川等之諸氏研理醫術薬方之蘊奥遂修一家之業旁以習字文学教授群蒙誠實是盡矣旦課誦妙経晩参相之建長真浄師殆有躰究禅理也日用人事佛事兼履積善累徳以回向菩提享年七十有七逝矣今丁三十三周忌辰見在門人等追思薫陶之徳澤建片石於翁之舊棲廃址焉乞銘于予不省敢譾劣敍其概績系以銘曰

心似精金 含英面色 身従跼高 曉人文墨 居仁行医 積年植徳 死生任天 慶福非忒 曾敲禅關 月下收得 説道談玄 友薫薝蔔 善聲追時 恐有泯息 庵址安碑 存不朽刻

建長管長 霄貫道 冠題
明治三十年六月
長松住 六虚恵周 選焉
奈倉林 書
學徒中 建之
逸雲刻

 

【書き下し文】

善翁積慶居士の碑

翁、姓は金高、名は善庵、積慶と号し、又た月友と字(あざな)す。家は世よ漢医なり。翁、初め江都に遊びて翰林昌平黌に学び、次に多紀桂川等の諸氏に就きて医術薬方の蘊奥を研理し、遂に一家の業を修む。旁ら習字文学を以て群蒙に教授し、誠実を是れ尽くせり。旦には課として妙経を誦し、晩には相の建長真浄師に参じ、殆ど禅理を体究する有るなり。日用の人事仏事は、兼ねて積善累徳を履み、以て菩提に回向し、享年七十有七にして逝けり。今、三十三周忌辰に丁(あた)り、見在の門人等、薫陶の徳澤を追思し、片石を翁の舊棲廃址に建てんとす。銘を予に乞う。敢えて譾劣もて其の概績を叙するを省みず、系ぐに銘を以てして曰く、

心は精金に似、英を含む面色なり
身は跼高に従うも 暁人文墨あり
仁に居りて医を行い 年を積み徳を植(う)う
死生は天に任せ 慶福は忒(たが)うに非ず
曾て禅関を敲(たた)き 月下に収得(しゅうとく)す
道を説き玄を談ずれば 友薫薝蔔(せんぷく)たり
善声時を追い 泯息する有らんことを恐る
庵址に碑を安んじ 不朽の刻を存せん

建長管長 霄貫道(あおぞらかんどう) 題を冠す
明治三十年六月 長松住 六虚恵周 焉を選す
奈倉林 書 学徒中 之を建つ
逸雲 刻

【現代日本語訳】

善翁積慶居士の碑

翁の姓は金高、名は善庵、号は積慶、また月友と字(あざな)した。家は代々漢方医である。翁は若い頃に江戸へ遊学し、昌平坂学問所で儒学・文芸を修め、次いで医師の多紀氏や桂川氏の名家について医術や調合・処方の奥義を深く研究し、ついに一派を成すほどの医業を修得した。そのかたわら、習字や文芸を多くの幼童・門弟たちに教え、誠心誠意その職責を果たした。朝には法華経を日課として読誦し、晩年には相模国・建長寺の真浄禅師に参禅して、禅の真理をほぼ会得する境地に至った。日常生活の世務と仏道修行の両方では、いくつもの功徳や善行を重ねて成仏菩提の境地へと回向し、享年七十七で世を去った。今、三十三回忌の命日にあたり、生存している門人たちが、かつて受けた教育と薫陶の恩徳を追慕し、翁が住んでいた旧庵の跡地に一基の石碑を建立することとなり、私に碑銘の撰述を求めてきた。私は自らの未熟さによって銘文を綴ることを辞退せず、翁の功績の概略を述べ、続けて銘を刻んで讃える。

銘にいう、

その心は純金のように澄みわたり 優れた才気はおのずと顔立ちに現れていた
その人生は名声を得たわけではなかったが 聡明なこころをもち学問や文芸に優れた
仁の心をもって医療を施し 長年、善行を積み重ねて徳を植え育んだ
生死は天に任せ その慶びと幸せは確かにもたらされた
かつては禅宗の関門を叩いて修行し 澄み切った月光のもとで悟りの境地を得た
道を説き、深遠な理を語り合えば 友情の徳香はクチナシの花のように芳しく広がった
翁の名声も時代とともに やがて消え去ってしまうことを恐れる
草庵の跡地にこの碑を建立し 永遠に朽ちることのない石碑を遺したい

建長寺管長 霄貫道 題字
明治三十年(1897年)六月 長松寺住職 六虚恵周 撰文
奈倉林 書 門弟一同 建立
逸雲 刻

注

  • 多紀・桂川:江戸後期の幕府医学館を主導した多紀氏(多紀元堅、安琢らを指すか)および幕府奥医師・蘭方医として著名な桂川氏(桂川甫賢、国興らを指すか)。内科は多紀氏、外科は桂川氏が世襲とされる。
  • 相之建長:相模国の鎌倉・建長寺のこと。「真浄師」は二一八代管主の真浄元苗(しんじょう げんびょう、1772年–1841年)。
  • 薝蔔(せんぷく):仏典(法華経・維摩経など)に登場する芳香を放つ花(一般にクチナシとされる)。ここでは徳の高い人物の交わりを香りに例える。
  • 「不省敢譾劣敍其概績系以銘曰」はひとまず上記のように訓読したが、「省みず、敢て譾劣もて其の概績を敍し、系ぐに銘を以てし曰く」としてもよいだろう。
  • 銘文の修辞:銘文の各句の末尾や語頭には翁の号や名(「金」「高」「積」「慶」「月」「友」「善」「庵」)が織り込まれている。
  • 霄貫道:明治中期の建長寺第二三五代住職、霄貫道(おおぞらかんどう)和尚を指す。
  • 長松住 六虚恵周:「長松」は壬生芳樹『伊豆碑文集成(西海岸編)』(1982年、非売品、p.41)に「長松寺、築地にある臨済宗建長寺派の寺」とする。「六虚恵周」は同書p.42に「大正六年十一月没」と記す。
  • 奈倉林・逸雲:いずれも未詳。後考に期す。