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こんにちは。世話人の堂囿です。
次回のテーマをお知らせします。

テーマ:人の心の内をどこまで推し量れるのか
ファシリテーター:青木孝介
日時:2019年10月5日(土)
15:00~18:00(14:30~受付&テーブルトーク)
場所:スノドカフェ七間町(静岡県静岡市葵区七間町7-8)
参加費:一般1,000円,学生500円(フリードリンク・お菓子付)
申込み:不要

私たちは、他者と生活を共にしています。共に生活を営む以上、他者に配慮することが求められます。特に社会的な生活の場、例えば学校や仕事の場では、他者の心情を正しく推量し、適切に行為することが推奨されます。社会人ならば、職種にもよるでしょうが、他者に「気を使う」ことは必須の技能であるように思われます。学校でも、他者への配慮は、まさしく「生き残る」ためにはなくてはならないスキルとなっているのではないでしょうか。

他者への配慮には、その心の内を推し量ることが必要です。ですが、ご承知のとおり他者の心は目に見えません。そのような目には見えないものを、私たちは推し量って行為し、そしてある程度までは成功しているようなのです。

ここで、「ようなのです」、という言葉を使うのは、他者の心が見えない以上、私たちが正しく相手の心の内を推量できているかどうか、不明だからです。たいていの場合、相手が怒り出したり、不機嫌にならないことを以って私たちは相手の心情を害していないことを判断したりしています。その反対もまた然りでしょう。

いずれにせよ、目に見えない他者の心について、その都度判断を下しながら私たちは生活しています。ですが、他者のこころはいつまでも謎のまま残されています。このことについて、以下の問から、他者の心について考えてみたいと思います。

① あなたは他者の心にどのように配慮していますか。
② あなたが他者の心に正しく配慮できたと思ったのはどのようなときですか?また、それはなぜですか?
③ 他者の心の内をどこまで推し量れるのか。

皆様のご参加、お待ちしています!

こんにちは!世話人の國弘(くにひろ)です。
次回のテーマをお知らせします。

テーマ:私の意思は本当に私の意思なのか
ファシリテーター:國弘彩
日時:2019年8月3日(土)
15:00~18:00(14:30~受付&テーブルトーク)
場所:スノドカフェ七間町(静岡県静岡市葵区七間町7-8)
参加費:一般1,000円,学生500円(フリードリンク・お菓子付)
申込み:不要

自分の考えは、自身の様々な経験を基に作られます。つまり私の考えはさまざまなものによって影響されているのです。特に、親や教師など、成長するなかで強い影響を与えた人の考えを、あたかも自分の考えであるように思い込んでいる可能性は大きいと言えるでしょう。 例えば高校や大学に進学したのは、教師や親が「良し」とするものを「良し」としているに過ぎないかもしれないのです。しかしこのようには考えず、やはり進学するかどうかは自分で決めたと考えている人もいると思います。「私の決定は結局のところ他人の考えを反映したものにすぎない」「私の決定は私自身が決めたものだ」、これら二つの立場の間には、どのような違いがあるのでしょうか。これらの違いが分かれば、どのような状態であれば、自分の意思と言えるのかが見えてくるかもしれません。そこで今回の哲学caféでは、次のようなステップで進めていきたいと思います。

1. これは自分で決めた、と言えることにはなにがあるか。また、それはなぜか。
2. これは他人の意思が決めた、と言えることはなにがあるか。また、それはなぜか。
3. どういう状況・状態であれば、それは私が決めたと言えるか。

皆様のご参加、お待ちしています!

第2回しずおか哲学caféのテーマが決まりました!今回は、「家族とは何か?」というテーマで、みなさんと一緒に考えたいと思います。スノドカフェ でお待ちしております!


第2回しずおか哲学café

テーマ:家族とは何か?
ファシリテーター:古賀琢磨
日時:2019年6月1日(土)
15:00~18:00(14:30~受付&テーブルトーク)
場所:スノドカフェ七間町(静岡県静岡市葵区七間町7-8)
参加費:一般1,000円,学生500円(フリードリンク・お菓子付)
申込み:不要

「家族」は望ましいものとして語られることがあります。家族旅行は、子どもに多くの体験をさせてくれるでしょう。家族の間では見返りのない支え合いが行われることが多々あります。子を産み育て、介護や看護を必要とする人を支えるに止まらないかもしれません。単に「ただ家族がいる」ということが安心感をもたらす可能性はあります。

こうした「望ましい家族」は、しばしば、父親、母親、子ども、祖父母からなる家族と結びつけられます。しかし家族の形はもっと色々なものがあっても良いと考える人たちもいます。世界的には、同性婚が広まりつつあります。三人婚が許されている国もあります。結婚せずに精子提供を受けて産んだ子どもと母親の家族という形もありうるでしょう。あるいは映画『万引き家族』のように、性愛も血縁関係もない家族だってありえます。

その一方で、制度の上でも、意識の上でも、家族の形はかなり限定されています。そうした限定に何らかの意味はあるのでしょうか。むしろそうした限定は恣意的であり、もっと多様な家族も受け入れるべきでしょうか。しかし、多様なものを家族として認めた時、そもそも家族の本質とは何なのでしょうか。

私たちは、多くの人に家族がいることを前提とした社会の中で暮らしています。しかし、そもそも、家族とは何なのか、はっきりと答えられるでしょうか。血の繋がりをもとにしたつながり?子どもを産むための仕組み?愛によって結ばれた関係?共依存の当事者たち?助け合う特別な仲間?やらなきゃいけないことを増やすしがらみ?かけがえのないもの?お金を払えば代わりがあるもの?

今回は、多様な家族の可能性を検討することを通じて、家族とは何かをみなさんとともに考えたいと思います。

第1回しずおか哲学caféのテーマが決まりました!今回は、受精卵に対するゲノム編集について、みなさんと一緒に考えたいと思います。スノドカフェ でお待ちしております!


第1回 しずおか哲学café

テーマ:受精卵の遺伝子を操作することは許されるか?
ファシリテーター:堂囿俊彦
日時:2019年4月6日(土)
15:00~18:00(14:30~受付&テーブルトーク)
場所:スノドカフェ七間町(静岡県静岡市葵区七間町7-8)
参加費:一般1,000円,学生500円(フリードリンク・お菓子付)
申込み:不要

昨年末、中国の研究者が、生まれる子どもがHIVに感染しないように受精卵の遺伝子を操作し、実際に子どもが生まれたことを明らかにしました。この行為に対しては、「実験段階の技術を応用するのは問題だ」といった安全性の問題や、「より安全な方法でHIVを回避することは可能だ」という必要性に関する疑問が呈されました。確かに、安全かどうか分からず、必要でもない操作を行うことには大きな問題がありそうです。

しかし、安全性の問題は、やがて解決される可能性があります。そのとき私たちは、受精卵の遺伝子操作とどのように向き合うべきでしょうか。

一つ目の考え方は、安全であるなら後は親の選択に任せるというものです。親は子育てに関してかなりの決定権をもっています。子どもの遺伝子を編集することも、基本的にはそうした決定権に含まれると考えられるかも知れません。

二つ目の考え方は、一定の条件下で利用を認めるというものです。というのも、そうした条件によって、遺伝子操作によって生じうる問題を回避できるかもしれないからです。例えば、親の選択に任せていては、操作によって有利な能力を身につけた子どもと、操作なしに生まれた子どもとの間に格差が生まれることになってしまうかもしれません。

三つ目の考え方は、いかなる形であれ受精卵の遺伝子操作は認めないというものです。この立場は、「神への冒涜」といった宗教的な背景から訴えられることもあれば、「受精卵の操作は未来世代にも影響を与えるのであり、そうした影響を知るのは困難である」という予防的な配慮にもとづくこともあります。

もちろんこれら三つ以外の立場もありえますし、別の理由から上に挙げた立場に賛成することもできるでしょう。初回のしずおか哲学caféでは、みなさんとともに、将来世代の遺伝子操作について考えてみたいと思います。