歴史の上に


学会出席のため、イタリア・シシリー島のカターニアとベルギーのルーベンを訪れた。学会の中には参加者の親睦のため夕食会が開かれることがある。カターニアではベネディクト修道院が使われた。17世紀に起きた大きな地震とエレナ山の噴火に伴う溶岩によって街は壊滅的被害を受けた。街の一部は溶岩の上に再建されている。被害のあったベネディクト修道院は18世紀にバロック様式で再建された。再建ではローマ遺跡まで掘り起こされ、見学ツアーでそれを自分の目で見ることができる。ローマ遺跡は地下2,3階の深さにあり、そこまでの溶岩はそのまま残されている。現在、カターニア大学文学部の校舎として使われているとのこと。ここで学んでいる学生たちは常に2400年の時間の歴史の中にいることを感じていることだろう。
 どうしても話したいという知り合いのカターニア大教授からカターニアの歴史を教わった。この辺りは古くはギリシャから、その後ローマ、イスラム、ノルマン、スペインなどに支配を受けてき、第二次大戦直後はアメリカ統治の可能性もあったとのこと。そうでなくて良かったとの表情であった。何世代も支配されてきたことを否定的に感じるよりむしろ、文化の融合があった歴史に誇りを持っているようだった。
 ベルギー・ルーベンは“まるで中世のような”街並みが残っている。ルーベン大の先生に聞けば、第一次大戦で街はほとんど破壊されたが、それを伝統の建築で再建したとのこと。ヨーロッパで三番目に古い大学にはこの古い感じがふさわしいと、胸を張っていた。イタリアもベルギーも古いカトリック教会がいくつもあり、観光客が見学できるようになっている。観光客に比べると少数であるが、地元の方と思われる人たちが真剣な表情で祈っている姿がある。

 歴史について自分やその周りを振り返ってみると、お寺や神社には日ごろは直接関わらないが、年に一度か二度、お彼岸や初詣でお参りをする。ご先祖に感謝の気持ちを思い出し、神や仏に生かされていることを感謝する。周りの人も自分と同じベクトルを向いていることを思うとき、日本の歴史~私たちがベースとしているもの~を意識する。博物館に足を運んで、国宝とか重要文化財などと札がついている美術芸術品を見たり、名が知られていない職人が作った民藝と呼ばれるモノを見たりするときは、自分の先輩たちがこれを作ったことや自分と同じように「すごいなあ、いいなあ」と見てきたことに誇りを感じ、これらを大切に残してこられたことに感謝の気持ちが湧いてくる。「閑さや岩にしみ入る蝉の声」読むたびに、芭蕉の詠んだその場所に瞬間移動させられる。この句を目にした人が同じ場所に連れていかれるから、そこに日本人の根っこを感じるのであろうか。ネットにあった英訳例“Deep silence, the shrill of cicadas, seeps into rocks.”では連れていかれない。
 戦争を経験された方々は口を揃えて「戦争は絶対に駄目だ」と言われる。「絶対ダメ」というのは「最優先にせよ」ということ。70年間戦争をしてこなかったことは、先輩たちが工夫をしてこられ、私たち今を生きている日本人も含めてそれを実践してきたことを表している。日本国憲法は世界最先端の中身であり続け、特に武力によらないで平和を目指すと宣言したことは誇るべきことである。「絶対ダメ」というのは「いつまでもダメ」ということ。70年間続けてきた、この伝統に誇りを持って、私たちやこれからの人たちがこれを続けていく努力をしなければいけない。今が歴史という伝統の上にあり、今のかたちやあり方を次につないでいけるよう、自分ができることをよく考えてそれをしっかり努めたい。
(2017/10/7)

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Definition of myself


One possible definition of myself is (1), i.e., “myself (I) is an integral of the sum of interaction Λij(t) with the teachers, the colleagues, the problems, and what has been read, talked, and learned over time”.

放言


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仮説を証明するために(2018/9/17)
学習+スマホ~0というケース(2018/8/19)
一対一 (2018/7/28)
研究費 (2018/7/8)
□+□=10 (2018/6/10)
大学と企業の研究 (2018/5/13)
啐啄同時 (2018/4/22)
学術論文にも歴史を書くべきケース(2018/3/11)
研究室にもメダリストがいる(2018/3/3)
再試験を逃げない学生(2018/2/27)
仕事ののりしろ(2018/2/4)
日本のスケーリング則 (2018/1/7)
リセットします (2017/12/17)
「Grit (やり抜く力)」 (2017/11/27)
(電通学会誌)回想 (2017/11/1)
歴史の上に(2017/10/7)
抽象化と具体化 (2017/8/23)
giveとgiven (2017/8/14)
学んだこと (2017/6/21)
仕事をする (2017/5/6)

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抽象化と具体化


研究室に来てくれた卒研生4人それぞれに、解けると世界で何人か何十人か、ひょっとすると何百人かに影響を与えられると私が思う研究テーマを提案した。卒論を書き始めるまでにどこまで進められるか分からないが、どれもこつこつやっていけば新しいアイデアが出ると感じた問題である。自分でも解いたことのない問題に答えが出せるように感じるということは、考えてみると不思議なことである。研究を続けてきた経験からそう感じるとしか言いようがない。

最終的に解きたい問題はとても複雑なので最初は見通しがつかない。解析的にアプローチできる程度まで、問題の枝葉を払っていって抽象度を増していく。同じ程度に抽象化した積りの四つの研究テーマの中にも、わずかな差で見かけの複雑さが大きく違って見えるようだ。テーマ設定を少しずつずらしていって、簡略化した回路動作を頭でイメージできる程度にする。イメージが湧き解析的に解けたら、少しずつ複雑さを増やしていって具体的な問題に近づけていく。モデル化した問題の解は具体例のどこまでに適用できるか、どの程度誤差を生じるものかを調べていく。

一年間研究テーマと付き合って、「1具体的問題=>2抽象化したものを解く=>3具体例を解く」のアプローチを実践して、これから長く付き合う技術課題に適用できるように自分の工夫の仕方を発明していってほしい。1の具体的問題を見つけることと2のそれを抽象化することは学部・大学院ではなかなか実践できない。2から3へのアプローチを何度か繰り返していきながら、各人が自分で問題を見つける習慣を身につけなければならない。研究者は与えられた問題に答えを見つけるだけでなく、解くべき問題を見つけることも大事な仕事になる。(2017/8/23)

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giveとgiven



アメリカ人のステレオタイプに、GiveしようとするときはTakeを求める、というものがある。その瞬間の取引であればGiveと同程度の価値のTakeと交換が可能である。しかし、この世に生を受け、生きてきたこれまでの全体を振り返ると、GiveしたものとGivenされたものは交換可能な程度までバランスがとれているものであろうか?自分というものの存在に気づいたときにはすでに日本語を聴いて理解し、話しができるようになっている。言葉、食べもの、飲みもの、着るもの、雨をしのぎ暖かく眠ることができるもの、酸素、明かり、トイレ、すべてが自分でないもののお陰で与えられてきた。他の人のためにお手伝いをしたものはGiveに入れることができるが、その他は?

こうしてみるとGivenが圧倒的にGiveより多いようにみえるが、自然界の法則、すなわちエネルギー保存の法則や不増不減または不生不滅から言えばバランスしているはずである。何がGivenを補うのだろうか?私 ( I )というものが、自分( i )と先生、同僚、問題、読み、話し、聞いたことなどの対象 (j )との相互作用 (Λij(t) )の総和の時間積分で表せるとしよう (式1)。

AさんがいたからΛij(t)j=Aも計算に入っている。Aさんがいなければ私(I)は別の自分になっていたことになる。Iが今の自分であるのは自分と直接間接に関わった人すべてがいたからである。他の誰かにとってみれば、私との関わりがその人の一部になっている。自分がいなければ世界は別の世界になっていたことになる。こうして、圧倒的と思われたGivenにバランスするようにGiveしていることが分かる。つまり、他人と関わって生きていることがGivenを埋め合わせるほど大きいことであったことが分かる。自分がしてきた仕事は大したことではなかったと思う人(私もその一人)は、家族や仲間との関わりという大したことをやってきている、と考えていい。その人のやり方で、小さなことをこつこつやって誰かと関わっていく。それに胸を張って生きていくだけでいいんだと思う。
(2017/8/14)

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日本国憲法の定める国民の権利と義務

義務
第二十六条 2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

権利
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
第十六条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
第三十二条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

Learned from the research


~ What I have learned through the research on charge pump circuit design ~ Toru Tanzawa

Education
I joined a newly launched small mathematics club in the last year of my high school in 1986 where Yamagiwa sensei, a teacher of mathematics, gave us one interesting problem in mathematical physics at a time and discussed how to solve it at the next time every two weeks. Club members had two weeks to think about the problem. I remember that I often so concentrated on the problem that I couldn’t pay attention to the other subjects. That had both pros and cons, but I believed the pros overweighed the cons for me. Thanks to the teacher, mathematical physics became my enthusiasm. Thus, it was natural for me to select physics as the major in the university.

When I graduated the university in 1990, I still wanted to continue to study theoretical physics in a graduate school. A main teacher of mine, Professor Takagi, who has taught me logical thinking in addition to physics, suggested a theory of quantum mechanics as the theme for my master’s degree. It was very excited when two papers have been published from Progress of theoretical physics based on my master’s thesis even though the first authors were not myself.

In the second year of master’s degree, I have visited several high-tech companies such as semiconductor and telecommunication companies for a job interview. At that time, graduates were able to select a company rather than companies selected a graduate in a labor market. The words that grabbed me most were Dr. Masuoka, a director of Toshiba at that time and a professor emeritus of Tohoku university now; “you should join us if you want to do something to be the best in the world”. It brought me to ULSI R&D center of Toshiba in 1992 even though I didn’t know what transistors are and how they work at that moment. Luckily, Dr. Masuoka had run one year course for the new entrants so that they could learn broad aspects about semiconductor physics while research cutting edge topics in their teams. I can never thank him enough for providing very interesting first year of my carrier.

When I joined R&D center of Toshiba, I set a target to myself to become Ph. D by 30 years old. There is a system in Japan that any employee can have a chance to ask a university to qualify them as Ph. D. I did so to Prof. Sakurai of the University of Tokyo. I met him at VLSI circuit symposium in 1996 where he served as the program chair and recommended my conference paper to Journal of Solid-State Circuits. Another luck was that he accepted my request for being the chief examiner of my Ph. D thesis of “Low voltage circuit design for high-performance Flash memories”. Even though I had had several journal papers till 2000, it was not easy work for me to make them into a single thesis. I can recall the day when Prof. Sakurai discussed the thesis from the first chapter to the last chapter for continuous six hours with great passion and no break. I exhausted my energy and so felt a little sick after the discussion. At last after publishing two additional journal papers, my thesis reached the point where the examiner committee recognized me as Ph. D with strong support from Prof. Sakurai in 2002. I don’t know how to express my thanks to him.

Education is not always made by a teacher or professor. Attending international and domestic conferences have also educated me. Even though paper presentations are not directly associated with semiconductor memory technology, they often give me a clue to come up with something innovated in circuit design for semiconductor memory. Both Toshiba and Micron have allowed me to submit conference papers and to attend conferences as far as the paper doesn’t include any confidential matter or IP. I appreciate both companies on providing me great chances.

Another opportunity of learning is when a product issue appeared. The root cause is usually a simple design bug, but sometimes a fundamental technical issue. The issue requires something innovated in order for us not to occur issues originated with the same root cause again. Problems as well as necessities call for innovation.

Research with Toshiba
When I joined Toshiba ULSI R&D center, I was assigned to NAND team where the members were not more than ten at that time. They just developed very first NAND test vehicle with 4M-bits density operating at 5V. A supervisor of mine, Tomoharu-san, provided me an interesting topic about charge pumps which generate program/erase voltages on chip. It is one of the most critical circuit blocks to operate NAND with a single power supply and to reduce the supply voltage for low power.

A charge pump circuit is composed of multiple stages, each of which has a capacitor and a switch. When one needs to generate a programming voltage of 25V from a supply voltage of 3V, the charge pump has to have more than their ratio, e.g., 10 stages or more. Only steady state model was known in literature at that moment. I was not able to use it for dynamic analysis as it was. As a first trial for my understanding on how it works, I investigated dynamics of a single stage charge pump. The capacitor inputs the charges from the supple voltage source in a first half cycle of a clock and outputs them to the output terminal in a second half cycle. Thus, the capacitor and output voltages increase gradually. I noticed that the current and next states of the capacitor and output voltages could be related as a recurrence formula, and solved it analytically. When the number of stages were more than one, it seemed that the recurrence relations could be solved not analytically, but numerically. It enabled us to calculate the rise time when the design parameters such as the capacitance per stage, the number of capacitors, the capacitance of the load, the clock frequency, the supply voltage and the output voltage, are given.

How should the charge pump circuit be optimally designed? When the circuit area is given, the multiple of the number of stages and the capacitance of the stage capacitor needs to be a constant. When the number of stages increases much, the rise time would increase because the stage capacitor decreases accordingly. Conversely, the number of stages decreases much, the output voltage couldn’t reach the target voltage. As a result, there must be an optimum condition between those two extremes to have the shortest rise time. One can figure it out based on the simulation results repeatedly. However, you would have to do the same when the condition is changed. To answer the optimization question generally, you may want to find a dynamic model of the charge pump for the analytical optimization. Then, I tried to calculate the transient operation in two independent methods.

One way is to calculate an integration of the total input charges from the start to the end when the output voltage reaches the target by multiplying the output current by a factor of the number of stages plus one. The other is to calculate the input total charges directly as follows; the driver for the last stage capacitor is supposed to input the charges as much as an increase in the charges stored in the load capacitor during the rise time. Similarly, the driver for the capacitor next to the last stage is supposed to input the charges as much as an increase in the charges stored in the load capacitor and the last stage capacitor during the rise time. After doing the same step till the input, one can calculate the total input charges by adding all of them. Those with the first and second methods must be equal. As a result, I was able to find the analytical form to express the dynamics of the charge pump.

The equation indicates an equivalent circuit composed of an effective voltage source and resistor describing the steady state operation and an effective capacitor describing the transient behavior. The effective capacitor represents an effect of the internal capacitance of the charge pump with an amount of about one-third of the total capacitance. Because each of the voltage source, resistor and capacitor is given by circuit parameters, I was able to do the optimization analytically as I wanted before. When one designs the charge pump to have the number of stages to be 1.4 times larger than the minimum number of stages in case of the supply voltage and the target high voltage given, the rise time can be minimal. I felt I was happy at the moment when I reached that conclusion which has never been known in literature. I don’t doubt that the happiness was the result of combination of the best timing that I have researched the theme, the background that I have learned theoretical physics, and the NAND team which was rich in humor. Thus, the dynamic analysis of the charge pump circuits became the first IEEE paper of mine in 1997. It has been cited by over 300 papers probably because it describes a simple charge pump model to easily understand how it works and to show how an optimum number of stages is determined.

That was not a unique optimization question. It was also important questions to maximize the output current with a given circuit area and to minimize power. For example, what if the design minimizing the rise time consumes power much and what if the power is one of issues? You cannot forget such a trade-off. You need to make a balance between the two or more.

Dr. Masuoka showed three things that is expected for engineers in his laboratory; 1. Patent, 2. Paper, 3. Product. The order must be valid while NAND was under R&D phase. But these three P’s might have been rearranged after competition in NAND market place started in early 21st century; 1. Product, 2. Patent, 3. Paper. The first priority is now making competitive NAND products. We need to innovate something to make the products competitive, which results in patent. It may be not so attractive for most of engineers to write a paper, but it adds to our knowledge each other if it is published in journal and conference papers, which can make others encourage to think more. Thus, engineers can be happy with their work by spending a part of their work time for something enjoyable with those three P’s.

Research with Micron
I continued to think about the circuit analysis and optimization questions even after I joined Micron Japan, Ltd. (Micron Memory Japan, Inc. now) in 2004. As soon as I came up with publishing a book on integrated high-voltage circuits around 2010, I started gathering my knowledge in literature including my IEEE papers. But, the number of pages was about 100 at most. Any publisher wouldn’t be interested in such a short book. I realized some important works were left to be done after I compiled chapters and sections into a single article. Without doing that, I couldn’t have identified what I should do next. Since then, I have spent almost every weekend to study modeling of high-voltage circuits at home. First, I grappled with the question why IC industry had used a specific topology among various types. One of them was a so-called Cockcroft-Walton multiplier which Cockcroft and Wonton used to demonstrate fission of Li nucleus one century ago. There must be a reason, but it was not clear. I constructed a systematic way to compare circuit area and power efficiency between different topologies, which concluded that the specific topology had the least sensitivity on parasitic capacitance inherent to integrated high-voltage circuits. Then, I focused on how the circuits should be optimally designed in terms of circuit area or power efficiency. Lagrange’s method was effective to solve the problems. I also pursued to have opportunity of a tutorial presentation at IEEE conference because I thought that should end up with an increase in the number of figures which can make a future book more understandable. It was very fortune for me that an editor of a publisher asked me to publish a book based on the tutorial presentation at ISCAS (international symposium on circuits and systems) in 2010. I reorganized the chapters for the final version of the first edition, On-Chip High-Voltage Generator Design, and finally published it in 2013 with strong support from editors of the publisher.

Both companies that I was involved in were very open-minded. Each of them has allowed me to submit papers. That was another major factor in that I felt my happiness. Any submitted paper was not accepted at the initial review. Some papers were accepted at the final review after revising them. The others were failed for publication via the journal that I submitted. In those cases, I further revised them for submission to the other journals. In the longest case, I needed to repeat it four times. One of my favorite quotes is “There is no failure except in no longer trying” by Elbert Hubbard.

What I have learned from the research
If you have fortune that you can join a team who is aiming to be the best in the world in a field and that the research is allowed to proceed over a certain time period, you should have a moment to feel you are happy when you solve a question whose answer hasn’t been known. Even if you don’t have such fortune, you could pursue your question in your own time. Wouldn’t it be a happy moment when you reached a point where only you know its answer while anyone else doesn’t. Let’s think about the next question.
June 23, 2017

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学んだこと


 1992年に東芝ULSI研究所に研究員として仲間に迎えて頂いた。私は学部・修士と理論物理を専攻しただけで、トランジスタが何かも知らない素人であった。修士の同期たちがハイテク産業の花形であった電気メーカ研究所を就職先に考えているのを知って、特にこれといった希望業種・職種のなかった自分もつられるように何社か見学してみた。会社見学に来た私に、ULSI研究所の舛岡部長(現東北大学名誉教授)が「世界一のことがしたければここにくるがいい」と言葉をかけて下さった。一連の会社見学で舛岡部長の言葉以上の魅力的なものはなかった。NANDフラッシュの発明者である舛岡東北大学名誉教授からすれば、世界一の半導体デバイスにしたいという夢が実現した後で初めて事実となるはずのメッセージであったが、当時の私は当然、そのようなことは全く分かっていなかった。バブルのピークは過ぎていたものの、1992年はまだ学生の売り手市場が続いており、学生側が就職企業を選択できた。私は、そのメッセージと職場の雰囲気が大学の研究室のそれに似たものを感じたことで、東芝ULSI研究所にお世話になることを決めた。
 2017年現在、NANDフラッシュメモリは全半導体生産量の10%を超える柱の一つとなっているが、入社当時は世界で東芝だけがNANDフラッシュを研究開発しているだけであった。NANDフラッシュは、不揮発性半導体メモリの一つである。メインメモリであるDRAMと異なって、電源から切り離してもデータを保持することができるメモリである。スマホの写真や音楽のデータを保存し、アプリのプログラムを格納する。Solid-State Drive (SSD)はHard-Disk Drive (HDD)と互換性を持ち、その高速性から高性能ノートパソコンやタブレットに用いられ始めた。SSDの記憶デバイスがNANDフラッシュである。HDDと比べてデータ当たりの電力が低いため、データセンターでもSSDへの置き換えが進んでいる。半導体チップの中でも成長頭になっているゆえんである。
 NANDフラッシュからデータを読み出す時には5V程度の電圧が必要である一方、データの書換えにはそれより十分高い25V程度の高電圧が必要となる。25V程度の高電圧で初めて電子がトンネル効果で浮遊ゲートに出入りすることができる。5V程度ではトンネル効果が起きないため、読み出し動作でデータは破壊されない。5Vや3Vの単一電源でNANDフラッシュを動作させようとするとき、集積回路上で25Vを発生しなければならない。「昇圧回路」は電源電圧から高電圧を発生する回路である。データ書き込みを短時間で行うためには25V電圧をできるだけ素早く発生する必要がある。入社後メンターの智晴さんから与えられた研究課題は、25V を如何に素早く発生できるようにするか、であった。
 昇圧回路はキャパシタとダイオードからなるユニットを複数接続する。3Vから25Vを発生するには最小でもそれらの比のユニット数が必要となり、3V/25Vの場合では通常10ユニット以上の構成となる。回路動作の解析は定常状態のものだけが知られていた。そのままでは立ち上がりの解析には用いることができない。最初は自分の理解のため、1ユニットの場合の動的な振る舞いを調べてみた。昇圧回路を構成するキャパシタはクロックを入力することで、電源からダイオードを通して電荷を取り込み、別のダイオードで出力に電荷を転送する。こうして出力電圧を電源電圧より高くすることができる。キャパシタの電位と出力の電位はクロックの度に上昇する。今の状態と次の状態の関係性は漸化式で表現できることに気づいた。1ユニットの場合は解析的に解が求まることが分かった。2ユニット以上では解析的に解が求まりそうになかった。求めた漸化式のセットを使えば数値的に計算は可能である。キャパシタの容量値、負荷容量値、ユニット数、電源電圧値、目標出力電圧値を与えれば、それらの条件での立ち上がり時間は計算できるようになった。
 昇圧回路はどのように最適化すべきであろうか?回路面積が与えられたとき、ユニット数とユニット当たりのキャパシタの容量値の積は一定となる。ユニット数を増やせば出力電位の到達可能電圧は上昇するが、ユニット当たりのキャパシタの容量値は減ってしまうため、立ち上がりに時間がかかるであろう。反対にユニット数が少ないと到達可能電圧は目標値に達しないであろう。それらの間に最も立ち上がりが速い条件が存在するはずである。条件を変えて数値計算を何度も繰り返せば解は求まるであろう。しかし条件が変われば同じ作業を繰り返さなければならない。最適化問題を汎用的に求めるには、昇圧回路の動的モデルを求めて解析的に最適化を行いたい。漸化式を解く代わりに、出力電圧が目標電圧に達するまでの動作を二つの独立な方法で計算してみることにした。
 一つは立ち上がり時も各クロック中には定常状態の式が適用できるとして、昇圧回路に入力する総電荷量は出力電圧が初期値から最終の目標値になるまでの出力電流のユニット数分を積分することで計算できる。もう一つは立ち上がり期間中に昇圧回路に入力した電荷総量を直接計算することによる。最終段のキャパシタを起動するドライバは出力負荷に蓄えられた電荷量の変化分だけ入力したはずである。その一つ前段のキャパシタを起動するドライバは出力負荷と最終段のキャパシタに蓄えられた電荷量の変化分だけ入力したことになる。これを入力までそれぞれ計算することによって、それらの総和を得ることができる。こうして求めた昇圧回路に入力した二つの総電荷量は等しいことから、出力電圧の時間発展を記述する式を解析的に求めることができた。
 この解析式はテブナンの等価回路のように電源と出力抵抗からなる定常状態を示す素子と、動的振る舞いを与える容量素子からなる等価回路を示していることに気づいた。この容量素子は昇圧回路の内部容量を表し、全容量値のおよそ三分の一が負荷容量に並列に接続されていることを示していた。等価電源・抵抗・容量のそれぞれは、回路パラメータで表されているため、前述の最適化を解析的に行うことができた。電源電圧と目標高電圧が与えられたときに必要最小限の段数の1.4倍の段数に分割すれば、立ち上がり時間を最小にすることができることが初めて分かった。これまで誰も知らなかった答えを得た瞬間は最高に幸せであった。この問題に取り組むことができたタイミング、理論物理を教わってきたこと、ユーモアあふれるNANDのチーム。このハッピーさはこれらの重ね合わせが与えてくれたことだったと思う。
 最適化問題はそれだけではない。定常状態で流す出力電流を最大にする最適化や消費電力が最小になる最適化も重要な問題である。例えば、立ち上がり時間を最小にする最適化がもし大きな消費電力を伴うものであって、消費電力が問題になっていたらどうであろうか。このようなトレードオフの問題は常にあることを忘れてはいけない。どちらもぼちぼち、という点を最適とすべきである。
 2004年にマイクロン・ジャパン(現マイクロンメモリ ジャパン)に移ってからも回路の解析や最適化を定式化の問題を考え続けた。2010年ごろに突然、昇圧回路に関連した本を書きたいと思った。週末家でやろうと決心した。読んでくれそうな人を思うと日本語ではほとんど役立たない、英語で書くしかないと思った。ところが、持ち合わせの内容を全部足しても百ページ足らずであった。回路の本は薄いものでも二百ページ近くはある。どうやって二倍にしようか?章の構成を見直してみるといくつか抜けている議論があることに気づいた。キャパシタとスイッチからなる高電圧発生回路は百年前からあるのに、集積化した回路のトポロジーはどうして今あるようなものなのか?リチウムの原子核を人類で初めて崩壊させたコッククロフトとウォルトンの使った回路ではなぜいけないのか?集積化昇圧回路の最適なトポロジーを決める理屈があるはずである。昇圧回路を動作させるために必要なクロックは周波数を上げていけば出力電流も増えていく。高すぎると一周期内に電荷が転送できなくなるため出力電流は減っていくだろう。出力電流を最大にする最適な周波数があるはずである。これまではクロックの周波数は与えられたものとして扱っていた。それも最適化したい。最適化には電力も考慮しなければならないであろう。こうして一つの問題が解けると、次の問題が見つかっていくという、正のスパイラルに入っていった。この辺りになると、どれも会社の仕事とはみなせないような基礎問題である。これらも週末や通勤電車で解くことにした。
 幸い私が所属した二つの会社は懐が広く、会社の仕事とは直結しない内容の論文の投稿や国際学会の発表を許可して頂けた。もっともあまりに会社の研究内容が詰まったものになると、NANDが製品開発競争に入って以降は論文投稿が非常に難しいようだ。若い研究者にはぜひ、職務時間のわずかを使って製品開発研究とは少しだけ離れた内容を研究して論文発表をして頂きたいと思う。それも気が引けるなら、職務時間以外でやって頂きたい。自分や自分の所属するチームが製品に貢献したことを知ったときはとても幸せに感じる。そして自分とつながるまでになった、業務とは独立した研究でも幸せに感じることができる。ぜひ研究でハッピーになってほしいと願う。
 論文は最初の投稿で受理されることは一度もなかった。差し戻しとなって修正版で受理されることもあれば、されないこともある。受理されなかったときには、この論文は発表するに値するものか見直してみる。そこでやめるべきと判断したことは一度もない。自分には価値のあるものだと考えたから投稿したのだ。別の論文雑誌に投稿する。一番長い場合には四つ目の雑誌で受理された。実践ビジネス英会話の杉田先生のQuate ..unquateで何度か出ていた”There is no failure except in no longer trying” は真実であると思う。受理されるまで手を入れながら投稿続けるべきである。
 研究を本にするための第二のアクションとして、何かフィードバックになるものを期待して、学会のチュートリアルで研究のまとめを発表することにしてみた。当人が直接私のチュートリアルを聴いたか不明であるが、アメリカの出版社の編集者がコンタクトしてきてくれて本にしないかと誘ってくれた。チュートリアルからのフィードバックは特になかったが、チュートリアルをした甲斐があった。自分でできる範囲のことはやってみる、自分が制御できない領域のことには悩まない、が教訓となっている。

昇圧回路の研究を通じて学んだこと
東芝ULSI研究所のNANDチームは灰色の事務机が四行二列に並んだ“島”が二つしかない小さなものであった。その後外へ出た先輩や同僚は現在、湘南工科大、台湾交通大、東北大、中央大の教員となられ、あるいはIEEEフェローやマイクロン・フェローに認められている。先輩同僚は大学での専攻も電気電子だけでなく、物理、化学、原子核など様々であった。このことから私は次のように言えるのではないかと思う。多様なバックグランドの研究者がいる世界一を目指すチームの門を叩いてご縁がつながり、研究がある程度の期間は継続できるような環境がある、という幸運があれば、一人一人が自分の研究分野を持って、誰も答えの知らなかった問題を解くことができる。継続が可能になるのは、気持ちと予算に余裕があるところ、つまり時間制限が強くなくユーモアのあるところしかないかもしれない。周りに世界一を目指すチームがなく、あるいは研究が継続できるという幸運がなかった場合でも、自分の情熱と自分の自由時間を使って始めることはできるはずだ。新人には注目すべき課題と運動量が与えられるので、それでとにかく答えが出るまでやり続ける。対象に集中するあまり、自分という意識がなくなってしまい、対象と一つになる状態になる。自他の区別がない状態で、禅の言う三昧の状態である。取り組んでいる仕事に集中しているとそういう状態になる。ふと気づくと、とても楽しい時間を過ごしたように感じ、幸せな時間だったように思う。三昧の間にはそういう意識はない。我に返ってから気づくことである。これを繰り返して得られた結果は対象ではあるが、自分と切り離されたものではない感じがする。対象と自分がつながっているように感じる。仕事や結果に愛着を感じたり、誇りに思ったりすることができるのは、対象と自分がつながっているように感じるからであろう。こうして自分の問題に対する自分の答えが出ると、次の「その答えが他人も知りたくなるような問題」を考え出そうとする。私には世界に何人かの共通の回路好きがいる。私が回路の問題を考えようとするときは、この答えが出たら彼らもきっと面白いと思ってくれるだろうと思うような問題である。その問いに対する答えが出るまで問題に取り組み続けていると、その慣性力で止まれなくなる。ここに帰還ができて、正のスパイラルが完成する(図1)。答えが出た瞬間は幸せだと思う。特許成立や論文受理の知らせをもらったときはうれしい。でも、一番良かったと思うのは、特許や論文が出てから何年かして参考文献で引用され、自分の立てた問題や求めた結果が新しい仕事につながったことを知った瞬間である。自分につながる対象は自分の仕事だけでなく、他人のやった仕事にも広がるのである。

 

2017/6/21

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仕事について


 企業では複数の従業員が協力して製品やサービスの商品を作り出し、それらを消費者に提供することによって対価を得ている。複数の企業が仕様の似た商品を提供する場合、各企業は商品の単価が他社に比べて高くなりすぎないよう努力をしている。商品を作り出すまでのすべての工程は細分化され、それらを各従業員に分配することによって各作業は効率的になり、商品の単価が抑えられる。分業されるほど、自分のやっている仕事と最終商品との関係性が希薄になるため、何のために働いているか見失うようになってしまう。研究者も研究分野が細分化されすぎると何のための研究なのか、全体に対する位置づけを見失ってしまう。どうすれば細分化の進みすぎた仕事にも満足できるようになるであろうか?
 多少の交渉の余地はあるものの、組織で働く以上何をいつまでにするようにと指示をされるケースがほとんどである。その点は個人経営者も同様である。このように労働には何をいつまでにという制約がある。しかし、その仕事をどのように進めていくかについての自由度は与えられている。そこでは、自分が主体的に、自分の個性を発揮して、自分のやり方を工夫して、自分の納得するように、自分の仕事や結果に誇りを持って、働くことができる。「何を」や「いつまでに」は自分で決めて良いが、「どのように」が制約されている場合と比べてみるとどうであろうか。こんな「仕事」では続かないと考える人が多数であろう。
 禅の世界に三昧という言葉がある。対象に集中するあまり、自分という意識がなくなってしまい、対象と一つになる状態である。自他の区別がない状態である。取り組んでいる仕事に集中しているとそういう状態になる。ふと気づくと、とても楽しい時間を過ごしたように感じ、幸せな時間だったように思う。三昧の間にはそういう意識はない。我に返ってから気づくことである。これを繰り返して得られた結果は対象ではあるが、自分と切り離されたものではない感じがする。対象と自分がつながっているように感じる。仕事や結果に愛着を感じたり、誇りに思ったりするのは、対象と自分がつながっているように感じるからであろう。
 私には好きな回路がいくつかある。世界に何人かの共通の回路好きがいる。私が回路の問題を考えようとするときは、この答えが出たら彼らもきっと面白いと思ってくれるだろうと思うような問題である。あるいは、この問題の答えを知りたがっている人が何人かはいるだろうと、顔や名前を思い浮かべる。試行錯誤している時間を楽しく感じる。答えが出た瞬間は幸せだと思う。論文が受理されたという知らせをもらったときはうれしい。でも、一番良かったと思うのは、論文が出てから何年かして参考文献で引用され、自分の求めた結果が新しい仕事につながったことを知った瞬間である。自分につながる対象は自分の仕事だけでなく、他人のやった仕事にも広がるのである。
 遊びと仕事は対立する概念だろうか?自分は遊ぶことが何より大切で、働くのは遊ぶためのお金を作るためだ、という場合、遊びが主で仕事が従の関係だろうか?仕事は仕事で楽しみ、遊びは遊びで楽しむ、という場合、仕事と遊びは排他的な関係だろうか?遊びにもいろいろな種類がある。詩や歌を詠んだり絵をかいたりするのは、創作の過程を楽しみ残った作品が自分の分身であることを感じられる点は仕事と共通である。マラソンやサッカーなどのスポーツは時間と戦い、相手と戦うところが楽しい。これまでかなわなかった時間や相手に勝てたときはうれしい。作品と呼べるものが残らないのは、詩を作ったり、絵を描いたりする遊びとは違うように思うかもしれない。しかし、どうやってこれまでできなかった時間で走ることができたのか、これまで勝てなかった相手に勝つことができたのか、努力と工夫があればこそであったろう。結果は記録や記憶に残る。自分なりに工夫したことが楽しかったと思い、残った結果はその作品だと思うことができる。仕事を自分で工夫して進めて、結果を自分の作品だと思えるように仕事をした人は、遊びは仕事と対立する概念だとは思わないだろう。対象が違うだけのことである。遊びを楽しんでいる人は仕事を楽しむ工夫ができるはずである。
 今の仕事をそれになりきれるまでやってみたかどうか考えてみる。どうも上の空でしかできないなあ、という場合はなぜかを考えてみる。私の場合は、回路や数学や物理の問題を考えているときは我を忘れているが、シミュレーションするための環境を整えようとコンピュータのネットワークを設定したりソフトをインストールしたりしているときはそうはできないようだ。シミュレーションをすることが目的で、それを実現するための環境を整えているのは直接目的を達成する仕事ではないと無意識で思っているからであろう。ネットワークを構築することが仕事であったら、多分与えられた条件でどのように最適化しようか工夫してその仕事を楽しんでいたはずである。そうすると仕事にはそれに直接向き合うものとそうでないものがあることになる。三昧をしている時間をできるだけ長くとろうとするなら、そうでない時間はできるだけ短くするしかない。自分の仕事に割いている時間を見直してみて、工夫の余地がないか組織を含めて調べてみる価値があるかも知れない。

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