大学アーカイヴズ委員会の活動について、静岡新聞様より取材を受けました。その結果が6月6日(金)の朝刊に掲載されました。
「学べぬ時代、若者の日常 教練日誌や学徒出陣壮行式の写真 静岡大が保存発信 戦時下の学校伝える【伝言 しずおか戦後80年】」
同紙には【伝言 しずおか戦後80年】の一環として、そのほかに旧制静岡高等学校卒業生の学徒出陣についての連載が6月1日(日)から6日(金)にわたって掲載されています。大学アーカイヴズ委員会も協力させていただきました。そちらもぜひご覧ください。
大学アーカイヴズ委員会の活動について、静岡新聞様より取材を受けました。その結果が6月6日(金)の朝刊に掲載されました。
「学べぬ時代、若者の日常 教練日誌や学徒出陣壮行式の写真 静岡大が保存発信 戦時下の学校伝える【伝言 しずおか戦後80年】」
同紙には【伝言 しずおか戦後80年】の一環として、そのほかに旧制静岡高等学校卒業生の学徒出陣についての連載が6月1日(日)から6日(金)にわたって掲載されています。大学アーカイヴズ委員会も協力させていただきました。そちらもぜひご覧ください。
5月の日曜日に、日本史分野では恒例となっている新3年生の遠足を行いました。
今年度は清水のうち湊として賑わっていた区域を散策しました。
JR清水駅に集合してバスに乗車し、まずは港橋停留所で下車して「甲州廻米置場跡」を見学しました。甲斐国・信濃国の年貢米は、富士川をくだり海に出て、いったん清水湊のこの場所に集積されたのち、廻船で江戸などへ運ばれていたという、江戸期の物流を支えていた由緒ある場所でした。

船宿「末廣」の二階。次郎長が開いた英語塾の様子が復元されていました
その後はすべて徒歩で、巴川をわたった先の本町にいたり、清水西宮神社・次郎長生家を見学し、再び巴川をわたり、明治期に次郎長が清水波止場に開業させた船宿「末廣」(復元)で展示とともに次郎長の生涯についてのビデオを視聴させていただき、理解を深めました。
最後にフェルケール博物館を訪れ、半日歩いてきた清水の歴史について学びました。

フェルケール博物館を見学しました

ドリームプラザと観覧車。その先には港の景観がひろがる…
エスパルスドリームプラザで解散し、学生の皆さんがその後どこへ向かったかは杳(よう)としてしれませんが、曇天ゆえ比較的涼しく、また皆さん以外とこの界隈を訪れるのははじめてだったようで、次郎長を中心に、清水の歴史の一端にふれることができた有意義な一日になりました。なかの人は中年ゆえ疲れました…
5月初旬に、コースの恒例行事でもある静岡歴史散歩を開催しました。
歴史学・考古学コースを選択した新2年生の歓迎と懇親を目的としています。

駿府城東御門・巽櫓を攻めようとしています

賤機山古墳を見学中です
今年度は新静岡セノバに集合し、午前中は西郷・山岡会見碑から静岡県庁本館・静岡市役所本館を経由して駿府城東御門・巽櫓を見学、駿府城公園にて昼食をとりました。
午後は石垣の発掘現場・旧静岡英和女学院宣教師館(ミス・カニンハム)・徳川慶喜邸跡を経て、静岡浅間神社と賤機山古墳の見学を行いました。
その後は、茶町に向かい「Kinzaburo」で「茶っふる」をおやつに小休憩をとり、静岡市茶市場・金座町から静岡空襲の爆撃中心点と静岡銀行本店の建物を横目に、札の辻にいたり解散しました。
教員とともに、静岡市職員のかたの解説もいただきました。また、総勢26名と大人数のうえ、ドイツからの留学生も参加してくれました。
天候に恵まれ、少々暑かったのが難点でしたが、普段であれば見過ごしがちなスポットも多く、その点においても有意義な一日であったかと思います。
人文社会科学部の前身は文理学部(1949~1965)ですが、その頃校舎は静岡駅北の大岩(現在の城北公園の場所)にあり、そこには不二・穆・映・魁・悟という名の5棟の学生寮もありました(全部合わせて仰秀寮といいました)。そのうち穆寮を卒寮された方々による親睦グループである「穆寮会」様より、本日旗と額が人文社会科学部に寄贈されました。
旗は180センチ×240センチの大きなものです。「1961」と書かれているので、その年に作られたものでしょう。

一方、額には「穆」という字の書がおさめられています。当時静岡大学で働いていた事務職員が書いたものとのことです。

大切に保存させていただきます。どうも有難うございました。
静岡歴史教育研究会の活動の一環として実施された以下のイベントに関する記録が掲載されています。
・第3回高大連携社会科研究発表会(2024年12月)
・地歴教員養成講座(全10回)
静岡大学学術リポジトリからも内容を閲覧することができますので、ぜひご覧ください。

静岡大学人文社会科学部考古学研究室では浜松市とともに、浜松市北区滝沢町に所在する滝沢鍾乳洞遺跡と行者穴遺跡の発掘調査を2020年度から継続的に実施しています。滝沢鍾乳洞遺跡と行者穴遺跡はお互いに近接する洞窟遺跡です。行者穴遺跡では1998年度に浜松市博物館による発掘調査が実施され、縄文時代草創期に遡るとみられる資料が出土していました。2022年度にその調査区を再発掘したところ、後期旧石器時代後半期の初頭(およそ28,000~27,000年前)に遡る炉跡とみられる遺構や石器や動物遺体などの遺物が残されていることがわかりました。2023年度には、調査区を拡張して発掘したところ、後期旧石器時代後半期後葉(およそ20,000年前)の石器や動物遺体などの遺物が残されていることもわかりました。2024年度は9月12日から27日の16日間で行者穴遺跡の発掘調査を実施し、2023年度調査で拡張した調査区のうち、後期旧石器時代の地層まで到達していなかった区画を掘り下げました。そうしたところ、後期旧石器時代後半期後葉(およそ20,000年前)とみられる地層から石器や動物遺体などの遺物が新たに出土しました。今後、発掘調査をさらに進めるとともに、出土した資料の分析を進めて、後期旧石器時代後半期の2つの次期の文化層の内容を明らかにする予定です。なお、今年度の発掘調査は科研費基盤研究B「更新世末から完新世初頭における先史狩猟採集民の生態資源利用をめぐる研究 」(2023年4月~2028年3月 代表:山岡)の調査研究として実施されました。

今年度の日本史学史料講読では、室町時代の皇族である貞成親王(1372~1456)が記した『看聞日記』を読んでいます。この日記は政治・社会・文化の諸相に関わる多くの情報を含んでいて、この時代の人々のあり方を知る上で重要な史料とされています。
宮内庁書陵部編『図書寮叢刊』看聞日記第1巻~第7巻(同所・明治書院、2002~2014)が刊行されており、こちらをもとに日本史分野のゼミでは輪読しています。今年度は応永23年(1416)の記事を読み進めていますが、父である栄仁親王の死が大きなトピックとなりました。
文献史料を対象とする歴史学では、研究したい時代の文体に慣れ、その文意を正しく捉えることが分析の重要な鍵になります。また、単に語句や人名を調べるだけでなく、虚偽・誇張や、文字として書かれなかった情報をも批判的に意識して、史料が作成された意図や歴史的な背景に深く迫ります。こうした作業を根気強くおこなうことは、事実を正しく認識できる力をつける訓練になるでしょう。

史料講読の教材である『看聞日記』
なお、この季節になると、3年生がゼミ報告の準備に取り組むだけなく、4年生も卒業論文の執筆にいよいよ追い詰められ、私たちの研究室はにぎわいを見せます。論理的な思考を導くための訓練を重ね、大学生のうちにしっかりと知的な能力を身につけることは、とても大切なことです。

学生たちの共同スペースである研究室の日常(机の上がいつも片付かないのはご容赦ください!)
世界史分野ゼミ旅行にて、静岡県伊豆の国市にある韮山(にらやま)に行ってきました。ゼミ旅行は、毎年3年生が行先・旅程を決め、行っているものです。コロナ禍だったため、ここ数年は中断されてましたが、数年ぶりに学部2~4年生と大学院生から参加者を募り、今年度は韮山反射炉と江川邸を見学しました。
なぜ、世界史のゼミで県内の史跡を訪れるのかと思うかもしれませんが、韮山反射炉も江川邸もペリー来航や蘭学の発達、ヨーロッパの工業化などの世界史で取り上げられる出来事と関係している史跡です。静岡県内の史跡と世界史との繋がりを感じてきました。

韮山反射炉では、ガイダンスセンターを見学後、ガイドさんに実際の反射炉をみながら、仕組みや歴史をご説明いただきました。

江川邸にて。「小屋組づくり」という木組みの建物の中に保存されている文書類・書画・武具などの展示品を学芸員さんの説明を伺いながら見学しました。

韮山反射炉に向かう道中にて……世界史戦隊現れる!?
(彼らは時空を行き来し、本来書かれるべき埋もれてしまった過去を救い出す)
当日はみんなで電車に乗ったり、たくさん、おしゃべりしながら歩いたりして、目的地をまわりました。