S-wave『Saturday Nature ~Shangri-La(シャングリ・ラ)~』に2026年度は月に一回発酵研メンバーが出演することとなっています。7月18日(土)は人文社会科学部/登呂農耕文化研究所の篠原先生が登呂遺跡での「赤米」の栽培と、それを使用して地元酒蔵と連携して取り組む「酒づくり」についてお話しされました。
篠原先生は考古学がご専門で、日本で米作りが始まった弥生時代や農業の始まりについて登呂遺跡をフィールドに研究されています。中学時代から考古学が好きで、九州の古墳の一人で歩き回る子供だったそうで、40年にわたり研究をされています。
登呂遺跡は太平洋戦争中に見つかり、敗戦後の苦しい時代に研究が始められ、新聞などを通して2000年前の米作りをしていた人たちが知られるようになりました。教科書に載っていましたが、日本で色んな遺跡が見つかり総体的に知名度が下がっていました。
2000年代以降静岡市が改めて研究を始め、新たな調査による水田の跡など新たな発見により水田の規模、どのように作っていたのか、田植えをしていたのか、粗放なのか、技術がそれなりに整っていた様子など、細かいところがわかってきました。登呂は日本の米作りが始まった典型的な村だということが明らかとなっています。
現在の登呂遺跡は当時と同じように復元され、2009年に水田が再現され、ここ16,7年で道具や技術の再現も行われ、米作りをどんどん当時に近づけてきました。
今のお米とは違う。「古代米」といわれている米がどういうものかはわかっていません。籾も見つかり、炭になった米のDNAを根拠にどういう米かわかるが赤米だったかどうかわかりません。新嘗祭をずっとやっていたところに赤米や古いタイプのお米が多いようです。昔の登呂遺跡でもお米をつくり、40周年のときにお米を集めた。種子島宝満神社のお米などの栽培が始められました。
宝満は背の高いような稲穂になる米で、種子島の米は静岡の気候にもあっていてよく育ちます。この考古学研究の成果である米に目をつけたのが静大発酵研です。
登呂赤米酒完成披露会で紹介された試験醸造酒の色は、赤米の玄米の皮から出ており、通常の日本酒のように精米すると赤くなくなる。おいしいお酒をつくるためには精米しないとならず、赤米の赤い色を出すのに大村屋酒造場さんや萩錦さんは相当な苦労をされました。
宝満のみで作られたお酒はロマンチックなピンク色です。最初の年は宝満に焼津を混ぜたものでしたが、二年目からは宝満のみでつくられ、この米の赤はとてもいい色です。味は若い方や女性が好みそうなです。
古代史研究者として弥生時代のどぶろくを作っていた気はしますか?という質問について、お米は食べるために作られていたが、お酒にした可能性もある。農業には酒造りの可能性があり、赤米の玄米でお酒をつくった可能性があるのではないかとのことです。
登呂農耕文化研究所では真面目に復元研究をしていますが、お酒を造りたい発酵研の思いを汲んで、できるだけ古代の作り方を念頭においてストーリーを加えるのが役割と理解されているようです。
2026年はボランティアで代掻き、田植えと一回目の草取りが終わりました。8月8日に二回目の草取りがあります。当時も草取りはしていて鍬の一部は草取り用です。篠原先生から直接弥生時代の農耕についてお話を伺うことのできる貴重な機会ともなっています。ぜひご参加ください!
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