【ひとりごと】「事業継承」を考える

直接的にゼミの研究の内容から外れるが、少し思うことがあったので。

アマチュア無線をおやりになっている方ならば、川崎八丁畷の「マキ電機」さんという老舗無線機メーカをご存じであろう。本日2月3日昼前、この会社の「社長の身内」と称する女性から私のところに電話があった。曰く「社長が入院しました。当面仕事復帰は困難ですので、お預かりしている修理品はまだ手つかずでそのままの形で送り返します。申し訳ありません。」とのことだ。

昨年9月に、古い同社製品の調整整備をお願いしたのである。当時同社はホームページの更新が滞っていて、さらに、直前にネット情報で「川崎のお店がシャッター下ろしたまま再開していない」等との案件があり、もともと社長のご高齢に関しては知っていたこともあり、修理をお願いすべきかどうか、品物を送って良いかどうか非常に躊躇したが、「転居した」旨と新電番号が同社ホムペに掲出されたので電話をしてみた。「家族の事情で川崎から横浜鶴見に転居した。修理は受託するので送って欲しい、順に対応する」と元気な社長のお声が聞こえたので、修理をお願いすることとし、機械の症状などを明記したメモを同封して品物を発送した(写真参照の事、写真は個人情報部分をモザイク処理)。


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その後11月になっても何の返事もないので、横浜に電話。電話には社長自らお出になり「順番にやっている、もう少し待ってほしい」とのこと、特段今すぐ使うものでもないので「順番通りで結構です、決して無理な対応はなさらないで」と電話を切った。年が変わって今年1月、まだかなと思って新年のあいさつを兼ねて研究室から休憩時間に電話をすると「今ちょっと取り込み中。修理の状況は調べて返事する」「先日ホムペ直そうと思いいじっているうちに混乱し、現在ID/Passも分からくなってしまっている」とのこと、声に元気はなく、体調不良なのかな、とこの時に感じた。実はこの時点で既にホームページが完全に消滅しており、一抹の不安はあったがそれでも、そのお声を聴いて安心したものだ(「ホムペ直しましょうか」と提案すれば良かったかも、と今後悔中)。その時お話したメモが残っていたのだろう、修理品を送った時の伝票記載の電話番号(小生自宅)ではなく、職場の電話番号宛てに今日前述の連絡が入ったものと思われる。

社長とのやり取りの中で、多くの受託品があると推測している。「社長の身内」の方は、一件一件事情を説明しながら電話を掛けているのだろうか、とても頭が下がる思いだ。

鈴木の勤務する「事業開発マネジメントコース」では、いわゆる『アントレプレナーショップ』に代表される起業や事業創造、『プロジェクトマネジメント』に代表されるマネジメント関係を多く取り扱っている。学生のモチベーションは、「新しいこと始めたい」「生産現場に改革を」など、非常に前向きでもある。

しかし、「事を終える」は、「事を始める」「事を維持する」より、はるかに難しく切実な問題でもある。勤務先でもあまり取り扱わない。「創業支援」をする公的組織は充実しているが、企業の終活「廃業支援」を正式にメニューに取り入れているところは非常に少ない。

鈴木自身は市内の鍛冶屋(のち水道屋)の三代目長男に生まれ、子供のころから「三代目だからなあ、潰すかもね」など揶揄されてきたが、実際に代々昭和三年から営業してきた家族経営の会社を一つ畳む経験をしている。厳密に言えば、会社の経営が行き詰まり感を醸し出してきた頃と前後し鈴木が「みなし公務員」になり民間企業の経営にタッチできなくなったので、父に四代目社長になってもらい、彼には専ら「だれにも迷惑を掛けずに会社を軟着陸させる」ことをお願いしてきた。最後まで見届けてきた。二代目社長の父が大きくした会社を、四代目社長として父に畳ませる、三代目の私はなんと親不孝なのだろうか。父は当該会社清算完了直後に他界した。父の晩節を汚した感はある。

幸運にも、内部留保や可処分不動産など財務面での体力が残っている間での撤退だったので当初の目的を達することはできた。偶然の結果であって、このプロセスを教科書化して大学で「さあ、あなたの会社も同じように畳みましょう」などということはできますまい。

団塊の世代の諸氏が築いてくれた今の日本の産業界屋台骨。その多くが中小企業である。経営者は高齢化し、「限界集落」「消滅集落」の様相を呈してくる会社も少なくないであろう。「事業継承」、言い過ぎを許していただくならば「限界企業」の行く末について、考えていかなければならない。どのように次世代に渡すのか、渡さない場合どう消滅させるのか。それをいつ判断しどのタイミングで実行に移すのか。

前出の社長もまさか自分が入院するとは考えていらっしゃらなかったに違いない(と思いたい)。社長の早期快癒と事業の再開を願う。

2018.02.12 追記>>
本日、マキ電機の槇岡社長の訃報に接することとなってしまいました。残念でなりません。

以下画像の出典:http://www.qtc-japan.net/2001/
(閲覧キャプションは2018.02.12 14時現在、引用者注:記事中の入院日は2月24日ではないと思量いたします)

<<追記ここまで