発酵研は大村屋酒造場と共同で登呂遺跡で栽培した赤米を使った日本酒を試作品しました。静岡新聞でこの試作品に関する報道がなされました。
> 静岡新聞 登呂遺跡の赤米、日本酒に 静岡大×島田・大村屋酒造場 初の試作品完成
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Institute of Fermentation in Sustainable society and Glocal community from June 2024
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日時: | 2025年2月22日(土)13時00分~17時00分 |
場所: | Bnest静岡市産学交流センター プレゼンテーションルーム |
参加申込制です。 こちらからお申し込みください。申込みが定員に達しましたら参加の受付を終了させていただきます。
プログラム
鈴木実佳教授、宮地紘樹掛川東病院院長、および発酵研広報の依岡で二軒茶屋餅角屋本店に伺いました。伊勢角屋麦酒鈴木成宗社長にひとつひとつ説明を伺いながら見学することができました。順を追ってご報告します。
鈴木社長は天正年間(1575年)創業の二軒茶屋餅21代目社長でもあります。見学は二軒茶屋餅から始まりました。
二軒茶屋餅の「二軒」は現存するお餅屋の「角屋」とお料理を提供していた「湊屋」が向かい合って二軒あったことから名付けられました。現在湊屋はなく、角屋でお餅が提供されています。角屋の建物は底上げして90度回転させて、現在の向きになりました。
二軒茶屋餅のお餅はきなこをまぶしたあんこ餅。柔らかくて歯切れが良いお餅でした。
二軒茶屋餅は大正12年(1923年)から味噌・醤油の醸造業を始めています。二軒茶屋餅から歩いて数十歩のところに位置する味噌蔵をご案内いただきました。
二軒茶屋餅では赤味噌と醤油を創業時から変わらぬ製法で作っていること、鈴木社長は子供の頃から味噌蔵で遊んでいて酵母と親しまれていたことを伺いました。伊勢角屋麦酒の原点はこの味噌蔵にあるようです。
伊勢では一年中しめ縄を飾るそうです。味噌蔵の裏にあるまっすぐな道は路面電車の線路の名残であることも伺いました。
1994年に酒税法が改正され、第一次地ビールブームが起こりました。伊勢角屋麦酒は1997年に二軒茶屋餅向かいにビール醸造所と併設レストランを作りました。
現在ビール醸造は下野工場で行っており、ここではビールを作っていないようですが、当時のままの設備を残しています。ここに醸造所を構えた当初のお話を伺いました。「ビール作りの8割は清掃」という格言は印象深かったです。
現在「びやぐら」では二軒茶屋餅の醤油やポン酢、伊勢角屋麦酒のビールとグッズが販売されております。二階ではビールを飲むこともできます。この店舗ではバレルエイジドビールなどの実験的ビールも販売しています。
二軒茶屋餅の隣、川沿いに蔵が建っており、そこでは民具や道具などの古物が所蔵されています。昔はここが舟着場で、舟を降りた乗客が角屋と湊屋で休憩を取ったそうです。
角屋と湊屋にまつわるものもあれば、伊勢および三重など地域の骨董品・貴重品なども所蔵してありました。古い灰色のレジスターはおよそ10年前までお店で活躍していたようです。
伊勢角屋麦酒が軌道に乗るまで、幾多の試練がありました。詳細は鈴木社長の著書『発酵野郎!―世界一のビールを野生酵母でつくる―』をご覧ください。ビール販売が好調になり神久工場が狭くなりつつあった2018年に下野工場が誕生しました。現在伊勢角屋麦酒のビールはここで製造・出荷されています。現在下野工場の見学は有料で受け付けられています。
工場の中の設備をくまなくご紹介いただきました。ここで紹介している写真はその一部です。撮影が許されない研究室も備えており、20種類ほどの野生酵母が保管されていることを伺いました。研究室では酵母の培養も可能で、野生酵母を使ったビールも製造されます。伊勢角屋麦酒定番ビールのひとつ「ヒメホワイト」は鈴木社長が採取した野生酵母 KADOYA1 を使ったビールです。東京駅110周年記念「TOKYO STATION JR PALE ALE」は日本初の鉄道の起点であった新橋駅に咲いていたボケの花から採取した酵母を使っています。
最後に二階の社長室を見学させていただきました。ビアコンテストで受賞した数々のメダルや盾が飾ってありました。世界各地の醸造所、特に発酵研で過去に調査したビアツーリズムに関する意見交換を行ったほか、会社経営や地域コミュニティ形成など、ビール・発酵食品以外のお話もたくさん伺いました。鈴木社長は毎朝社員の日報を読んでいること、鈴木社長が選定した書籍の読書感想文に鈴木社長がコメントを付記することなど、社員とのコミュニケーションの取り方のノウハウも印象に残りました。
二軒茶屋餅は来年で450周年を迎えます。それに合わせるのはおこがましいですが、伊勢角屋麦酒とのコラボ商品製造を目指し、これからも発酵研は研鑽を続きていきます。
製造されたビールを自社店舗で販売するノウハウを調査するため、伊勢市内にある伊勢角屋の外宮店と内宮店を視察してきました。現在伊勢角屋麦酒のタップを飲めるお店は東京と伊勢にあります。
外宮店は4タップが設置されており、プラカップでビールが提供されます。この店舗では缶と瓶も買え、発送もしてもらえます。また、二軒茶屋餅のお持ち帰りのお餅も販売されています。
内宮店は6タップが設置されています。また、牡蠣串などの食べ歩き商品もあります。奥には食事を提供するレストランも設置されています。
読売新聞で2024年10月23日と24日に発酵研が参加した「発酵食品ワールド出展」の報道がなされました。ぜひご覧ください。
2024年12月14日、15日に南アルプスユネスコエコパーク10周年記念大会「未来につなげ!ライチョウの生きる山々、南アルプス」が開催されます。12月14日に増澤先生が開会あいさつ、「南アルプスユネスコエコパークに学ぶ」と題して講演されます。12月15日は丑丸先生が「南アルプスの酵母からお酒を造る」講演でご登壇されます。IV部では増澤先生のご進行でパネルディスカッションがあります。南アルプスの恵みから生まれたウイスキー、ジビエやクッキーといったおいしい食べ物やライチョウのミニチュア販売もあります。ユネスコエコパーク10周年記念の一連のイベントのなかでもとりわけ重要な発信の場となりますので、ぜひとも足をお運びください。
FM IS の番組「集まれ!静大三余塾」(【提供】国立大学法人静岡大学・沼津信用金庫)に出演します。
11月4日(月)16時15分~ 大原所長(研究所、静大祭・浜松キャンパスのテクノフェスタの紹介)
11月11日(月)16時15分~ 辻佐保子先生(ご専門の紹介、伊豆でのフィールドワーク)
radimo(レディモ)というアプリで聴けるそうです。また放送後に番組HPにアーカイブスがアップされるとのことです。
現在アーカイブを視聴していただけます。ぜひお聴きください。
【アーカイブ】
2024年11月9日に浜松キャンパスで開催されたテクノフェスタにおいて公開講演会を行いました。
第一報告はふじのくに地球環境史ミュージアムの佐藤洋一郎館長「三遠南信の食文化」でした。浜松の伝統食を考えるにあたって、発酵大豆文化圏である三遠南信の地理と、それが南アルプスを通る三州街道(塩の道)と秋葉街道(塩の道)形成したとの説明がありました。イギリス人外交官アーネスト・サトウは水窪の塩の道を歩き、巡礼路としての役割を果たしていることを指摘しているそうです。
水窪には縄文時代の遺跡があり、南北朝時代の城があり、また戦国武士たちの活動の場で兵站でもありました。この地域は水田稲作文化と対極にあり、焼畑で得る低収量のオオムギやトウモロコシやソバなどの雑穀文化で、オランドやジャガタと呼ばれるサトイモやジャガイモが南方経由で渡来し、また採取文化の残滓としてトチが食されたそうです。 県の東西には弥次喜多甘味道中があり、柏餅、饅頭、蕨餅、子育飴、安倍川餅、うさぎ餅、追分羊羹、富士見餅、亀鶴餅といった甘味が東海道を歩む人々を支えていました。三遠南信の発酵食文化は武家と旅人の食文化であると言えるようです。
第二報告は十山株式会社の平井岳志さんでした。今回の報告は2024年11月3日の同じ題目「南アルプス高山植物由来酵母によるウイスキー」です。詳細はこちらをご覧ください。
第三報告は静岡県ガストロノミーツーリズムフォーラム統括コーディネーターの岩澤敏幸氏「浜松から広がる静岡ガストロノミーツーリズム」でした。まず静岡県そして静岡市が進めているガストロノミーツーリズムの定義が紹介され、対象となるジオガストロノミー、地域食材、料理法、食を取り巻く歴史文化伝統について説かれました。観光地ブランドに影響を与える要因として明確なイメージ、接客、歴史文化などを挙げ、浜松市が鰻、徳川家康など明確なのと対照的に静岡市には明確なイメージが不在であることが指摘されました。ガストロノミーツーリズムは地域の全体が関わり、他人事から自分事への転換が重要で、今後関心をもってもらいたいと浜松ガストロノミーツーリズムツアーを創ってみませんか<日帰りコース・お泊りコースは問いません>として、提案を募り、最優秀ツアー案を商品化し、3月に実施予定であるとの呼びかけがありました。
当日のプログラムはこちらをご覧ください。
テクノフェスタでも午前から発酵研の展示を行いました。多くの方にご来場いただき、盛況でした。
2024年11月3日に南アルプスユネスコエコパーク登録10周年記念連続シンポジウム第5回<公開講演会 vol.2>『グローカルな発酵文化と観光』が開催されました。
第一報告は静岡大学文人社会科学部言語文化学科長で発酵とサステナブルな地域社会研究所のメンバーである鈴木実佳教授による“Current Beer Tourism and the 18th century beer caricatures in the UK”と題した発表で、ご専門であるビール文化を代表するイギリスの事例について講じられました。まずイギリスにおけるビールとエールの違いやビールが用いられた風刺画を紐解き、文化的な表象について紹介されました。またwalking in LondonということでSambrook’s Breweryという実際の醸造所にも言及がありました。
続いてオックスフォードからバスの運転手さんでも停留所の存在を忘れるほど大変アクセスの難しいHook Norton Breweryへの視察について紹介されました。Hook NortonはThe most popular beer & cider brandsとしては121位ですが、Trip Advisorでは1位とのことで、ビアツーリズムの成功の理由を求めて視察されたとのことです。背の高い建物で醸造過程が上から下に降りてくるおもしろいブルワリーです。2階では歴史について語られており、18世紀のbrewersついて詳しく説明されました。
第二報告は十山株式会社代表取締役社長鈴木康平氏による「南アルプス高山植物由来酵母によるウイスキー」です。国立公園は国内に34か所あり、南アルプス国立公園は静岡、長野、山梨にまたがる、今なお隆起し続ける重厚な山岳地です。ユネスコエコパークは国内に10か所あり、南アルプスは2014年6月12日にエコパークに登録されています。井川社有林は南アルプスの南部一帯で日本の1/1000の森林面積を占めており、井川山林は現在「自然共生サイト」に登録されています。国内最大の一団地で、県内10か所のうち静岡市内は麻機遊水地が登録されています。登壇者の鈴木康平氏は1991年4月に入社されてから社有林に四半世紀携わっており、南アルプスの環境保全、持続的な地域活性化の基盤を構築してきました。なぜ南アルプスでウイスキーを醸造するのかについて、井川山林の“価値づくり”に半世紀以上悩み続けた過程があります。既存需要である登山者以外に刺さる南アルプスを詰め込んだ価値とはなにかを模索してきました。
当初Natural Mineral Waterとして水源を利用しようとしていたが、不向きであったため、ウイスキー醸造に方向転換した経緯があります。まず「日本一行くのが大変な蒸溜所」と巷で評される標高1200mの熟成環境、水質、自社材のミズナラはウイスキー発祥の地とされるスコットランドを想起させます。南アルプス・井川の野生酵母によるウイスキー造りについてもお話頂きました。発酵研との高山植物酵母(ワイルド酵母)を通した協働として、井川の白木蓮から単離した酵母による香りが華やかなウイスキー造りが紹介されました。また2024年に井川蒸留所からリリースされるFloraのラベルにデザインされている高山帯の植物タカネマンテマの利活用もしたいとのことです。南アルプスと井川で地域や他社との協業でフィールドをSharingして持続的な環境保護保全とアップサイクルによる地域振興の試みを行っています。南アルプスは大井川で流域市町とつながっており、より多くの方、特に地元、流域の方には南アルプスをもってして頂きたいとのことです。
第三報告は、研究所副所長である人文社会科学部法学科の横濱竜也教授が、「静岡におけるクラフトビールツーリズムの可能性を考える」というタイトルで、クラフトビールの地域的性格とそれを活かしたツーリズムの可能性について話されました。昨年、私たちの研究所は「家康公CRAFT」を製造・販売するプロジェクトに、主に酵母開発とPRの面で関わりました。その背景のひとつには、静岡市と静岡県のクラフトビールブームがありました。講演では、より視野を広げて、日本とアメリカのクラフトビールブームのありようを確認し、海外のクラフトビールツーリズムに関する先行研究に触れるとともに、クラフトビールの地域的性格を、地域ブランディング、またテロワールの視角から整理することを試みました。
当日のプログラムはこちらをご覧ください。
登呂遺跡で6月に田植えした種子島の宝満神社の神事で使われている赤米を稲刈りしました。玉依姫命が祭神なので、紀元前8世紀から神事に赤米が使われていたようです。豊満は丈が高いため全部倒れていました。
登呂遺跡では石包丁が見つかっておらず柾目板の先がギザギザになっているものが用いられていたと考えられています。安全のためもあり、ギザギザした鎌で稲刈りをしました。
登呂遺跡で学生と田植えをし、稲刈りをした赤米でお酒を作りたいのですが、肥料を使っておらず、収量が少なく、すずめも沢山飛んでいたので、米を一粒たりとも逃さないように目配りしました。あまりにも細かかったせいか、「発酵研は来年の種籾も奪うのですか⁉︎」といわれてしまいました。
稲刈りの済んだお米を干す場所も木槌で組んでいました。干すとおいしさが凝縮されるとのことです。来週の脱穀で何キロのお米が得られるのか戦々恐々です。